塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

モームの月と6ペンスから、今季のJ1を思う

2017-05-31 00:31:32 | 日記
 「おれは描かなくてはいけない。(中略)川に堕ちれば、泳ぎのうまい下手は関係ない。岸に上がるか溺れるか、ふたつにひとつだ」

 これは新潮文庫から刊行されている、サマセット・モームの代表作「月と6ペンス」の文庫版79ページから引用したものです。

 金原瑞人氏が手掛けるこの翻訳、まさに絶妙でつくづく良い本を買えたと嬉しい限りです。

 僕はこの文庫、再読中なのですが、冒頭で引用した分は、今J1で降格の圧力がかかっている、大宮や新潟に当てはまる状況だと感じたんですね。

 両クラブとも監督交代に踏み切り、何とかしてJ1に留まろうとしています。

 岸にあがる 残留決定
 溺れる J2降格とスポンサーの減少

 を考えれば、誰だって必死に泳ぎます。

 ダメージは新潟の方が多かったようにとらえていました。

 新潟はエジミウソンやマルシオ・リシャルデスなど、結果を残した外国籍選手が去る習慣が多く、近年は短期で監督交代という、まさに崖っぷちでの残留が多かったためです。

 ですから、今季もふたりのシルバが移籍し、三浦監督が早々と休業状態に陥るというマイナスを挽回することは、難しいのではないかと思ったためです。

 一方で呂比須監督はブラジル生まれでありながら、ご存知のように日本代表として活躍し、選手の長短、言い換えれば

 日本人選手への接し方
 J1での戦い方

 を熟知しているメリットがありました。

 僕は案外、新潟にとってこの監督交代は良いカンフル剤になったと思いますが、大宮の方がもっと深刻と言えそうです。

 広島も調子を取り戻してきたと感じますし、このままでは彼らだけが取り残される危険性があるでしょう。
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映画ウエスト・サイド物語から

2017-05-31 00:20:06 | 日記
 ユナイテッドがヨーロッパ・リーグで優勝したことは、コンサート会場が爆破事件で被害をこうむったマンチェスターに、いくばくかの平穏を与えたように思います。

 生きづらさというのは個人によって感覚が違います。

 僕も毎日、漠然とした不安で夜、幾度も寝返りを打ちますし、日本だろうが欧州だろうが、コンピュータという文明の利器を持つ以上、ストレスから逃れる術はないように感じます。

 名画として名高い「ウエスト・サイド物語」を昨夜見直して考えたことは、過去にも差別はあり、今よりもある種露骨だったという面です。

 マリアとアントン
 シャーク団とジェット団
 プエルトリコ移民と欧州移民

 アントンはチノに背中を銃撃され、息絶えますが、マリアは最後、口づけをしてその場を去ります。

 インテル時代、アルバロ・レコバは「チノ」と呼ばれました。

 イタリアでは彼のよにアーモンドのような目をした人物を「チノ」と呼びますが、ある種侮蔑的な意味あいも含みます。

 それでもレコバはインテルからトリノに移籍する際に

 「身を削られるような決断だった」
 「それでもマンチーニの下で生きることは出来なかった」

 と述べています。

 レコバの例からもわかるように、人間は自分で自分を鼓舞することには限度があり、赤の他人から

 「あなたはよくやっている」

 と指摘され、初めて承認された気持ちになるのではないでしょうか。

 日本は災害が頻繁に起きます。

 僕は自分に縁のある人物が住む地域にアクシデントがあれば、連絡して「大丈夫かい」と声をかけたものですが、今はもうやる気は起きません。

 「君も含めて、僕が災害が起きた時に声がけしている人物は、千曲に何か問題があっても連絡すらしないな」

 と指摘したところ、

 「君の指摘は、単なる贅沢品だな」

 と返されたためです。

 逆に言えば、人に寄り添う行動はそれだけ難しく、寄り添ったという気持ちが通じていないのかもしれませんが。
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