塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

勝手に思うプーマがルカクを射止めた背景

2018-07-02 00:59:58 | 日記
 ワールドカップ開幕前、ベルギー代表のロメロ・ルカクが契約先をプーマにしたことが大きな話題となりました。

 時期が開幕二日前ということ、彼がリーグでアディダスとナイキを履いたことはあっても、プーマを履いた形跡がなかったためです。

 これはきっと、プーマのラインナップが陰にあると思います。

 プーマが「ワン」と「フューチャー」にラインアップを一新したことで、従来の「エヴォ・スピード」「エヴォ・タッチ」は廃盤となりました。

 以前、専門サイト「キングギア」でエヴォ・スピードの履き心地を

 「確かに軽いが、何か重要な要素をプーマは置き忘れているのではないか」

 と評価したと記憶しています。

 実際エヴォ・スピードの軽さは驚異的ではあるものの、耐久性は著しく不足しており、契約選手は履き替えの頻度が高いようでした。

 これが部活動の性とが使うならば、やはりパラメヒコのような耐久性のある物を好むでしょうね。

 恐らく現状のラインアップはニットを使い、さらに本革やシューレースの配置を工夫したことで、履き心地と耐久性が随分と良い方向に変化したと想像します。

 つまりラインアップの変化が
 
 ルカクのような重量級の選手でも対応できる履き心地
 数試合に一足、というような頻繁な支給

 ではなくなった、この変更点がルカクとの契約に繋がったのではないでしょうか。

 プーマはサッカーやF1、陸上には強いもののバスケットや野球など、北米市場で人気のある競技の支援からは遠ざかっています。

 今後、プーマがどのような方針を持ち出すのかはわかりかねますが、やはりサッカーで広告塔を見つけることは彼らにとっての生命線であり続けることでしょう。
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日本代表がワールドカップで勝ち上がる事の意義

2018-07-02 00:50:21 | 日記
 僕は今年の元日から一人で「ゲームの名は無言」という一人遊びをしています。

 昨日から2018年も下半期に入ったわけですが、このままいけばまず通年、無言のまま終わるでしょうね。

 何せ同僚から

 「毎日何をしています。楽しみに生きてんの?」

 と呆れられるくらい、職場にいても家にいても生きているなあという実感がさほどないくらいです。

 例外的にチョコレートやウヰスキーなど好物を食べていること、サッカーの事を考えているときはその点に没頭しているので、他の感情は何も浮かばないわけですが。

 でもワールドカップで日本代表の試合を拝みながら見ているときは、きっと無意識のうちに

 「自分は生きている、呼吸していr」
 「僕の願いが届いてほしい」

 と考えているのでしょう。

 ワールドカップが楽しいと思うのは、ロシア大会に代表される

 1・ホスト国がどれだけ踏ん張れるか
 2・アイスランドやパナマのように、初出場国の清々しさ
 3・フランス対アルゼンチンのような激闘

 が見られるだけでは成立しませんよね。

 自国が出場し、勝ちあがって様々な批評の中で自分も知恵を絞ること、これが楽しいと思える理由になるわけですから。

 ベルギーに敗れて日本の進撃がおわるかもかのしれない
 逆に勝利して進撃が続くかもしれない。

 それは誰にもわからないわけですが、僕は今ワールドカップを凄く楽しめています。

 それは日本代表の活躍が僕に

 「ああ、俺も生きていいんだな」

 と思わせてくれているためです。
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