塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

コスチュームとしての靴とスパイク

2020-05-23 20:28:58 | 日記
 これまでスニーカーは、映画の小物として時代考証や主人公の性格を表す、大切な役目を担ってきました。

 コンバース・チャックテイラー 映画フライデーでアイス・キューブが着用
 オニツカ・タイガー ・タイチ 映画キル・ビルでユマ・サーマンが着用
 リーボック・エイリアン・スタンパー 映画エイリアンでシガニ―・ウイーバーが着用

 今思いついた映画と靴を表記してきましたが、スニーカーには履く、買う、手入れをする、情報を集めるの他にコスチュームとしての楽しみもあるわけですね。

 ではサッカー・スパイクはジャージはどうでしょうか。

 実は僕、普段はレンタルも含めて映画を見ません。

 冒頭の話は大抵、ファッション専門誌に記載されていおり、オニツカ・タイガーについては雑誌「ペン」の特集から引用したものです。

 僕が思いつくサッカー映画は

 少林サッカー
 ベッカムに恋して
 シーズン・チケット
 ゴール

 の4作品ですが、恐らく観客は至極当然ですが脚本の内容は俳優に注目し、ジャージやスパイクが登場しても、そこには注目しなかったと想像します。

 サッカー、バスケットを題材にした漫画は、作品によってスパイクとバッシュが丁寧に描かれ、ファンに更なる興奮を与えます。

 日本においてエアー・ジョーダン1と言えば、マイケル・ジョーダン本人ではなく桜木花道を連想する人間が多い事も頷ける話です。
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クラブの転換期とその変貌

2020-05-23 20:09:38 | 日記
 1990年代、日本では邦楽がJポップという名称で人気を集める一方で、海外の音楽も聴けるようになりました。

 その代表例が米国のヒップホップやソウル、英国のロックやハウスが挙げられます。

 その90年代、英国ロックの代名詞だったのが「ブラー」と「オアシス」で、前者はチェルシー、後者はシティのファンとしても知られた存在でした。

 特にシティの胸スポンサー「ブラザー」を覚えている方は多いと思います。。

 90年代後半からチェルシーは一気に多国籍の集団となり、イングランド代表はデニス・ワイズただ一人と言う日もありました。

 彼らが変貌する事例の一つに、アブラモビッチの前のオーナであるケン・ベイツが

 1987年欧州最優秀選手であるルート・グリットをプレーイング・マネージャーとして招聘したこと
 イタリア代表のジャンルカ・ビアリ、ピエルルイジ・カシラギを軸に多くの外国籍選手がスタンフォード・ブリッジにやってくる
 その代表例がジャンフランコ・ゾラである

 というように、ロシア人の買収以前から戦力の傾向は右肩上がりに上昇していたのです。

 ただ、1990年代中期のチェルシーファンが

 2012年のチャンピオンズ・リーグ優勝
 クラブの英雄であるフランク・ランパードが指揮官として復帰する

 という話は、当たり前の話ですが想像できるわけがないのですが。

 それはシティも同様で、90年代に限らずそのほとんどを赤い隣人の陰に隠れていたわけです.。

 ですから現在のように最先端のスタジアムと戦術が奏でられる、麗しいクラブになるとは私財をなげうってクラブを支えてきたノエル・キャラガーからしても、大きな転換と言えるはずです。

 長野パルセイロも今は3部ですが、これからの方法、やり方によってはJ1の優勝、チャンピオンズ・リーグの常連になれるかもしれません。

 いつか彼らがアジア王者になり、「ナガノ」がアジア全土に知られる日が来ることを祈り、生きて同時に泣く準備をしています。
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僕たちがワールドカップと呟くとき

2020-05-23 19:58:40 | 日記
 ワールドカップの出場数は16か国から24か国、24か国から現在の32か国へと増大してきました。

 それでも狭き門である事に間違いはなく、1930年ウルグアイ大会から2018年のロシア大会まで一度も予選落ちをしていないのはブラジルだけです。

 そう、イタリアもドイツもフランスも、予選落ち経験し

 「自国代表のいないワールドカップ」

 を過去に目撃しているわけです。

 言い換えるならば、ワールドカップはブラジルだけには普遍的だったが、それ以外の国ではそうではなく、今後、ブラジルも予選で敗退する可能性がある、というわけです。

 2014年大会の準決勝、ネイマールとチアゴ・シウバを欠いていたとはいえ、ドイツに1-7で敗れたことは王国にとって最大の屈辱だったに違いありません。

 過去にもブラジルは

 1・1950年大会は決勝でウルグアイに敗れて優勝を逃す
 2・1990年大会は欧州の戦い方に迎合した3-5-2の布陣で挑むも16強敗退
 3・1994年大会は優勝するも、美しさが微塵も感じられないことに不満

 というように、屈辱や納得のいかない代表に不満を募らせました。

 しかし予選敗退と言う形ならば、本当に国内が沈黙するか暴動が起きるかのどちらかで、代表監督と選手は国内にはとどまれないでしょうね。

 「ワールドカップ」

 とつぶやくことは誰にもでき、その言葉が勇気となり4年後の自分と代表を重ねることで、日々の辛い生活、仕事に皆が絶えています。

 ペルーといえばクビシャス
 クビシャスといえばペルー

 というように、ペルー・サッカーはこの英雄と共に一時代を築くものの、彼の引退後は沈黙します。

 ペルーのファンは幾度なく

 「コパ、コパ(ワールドカップのことです)

 とつぶやき、自分を奮い立たせたに違いありません。

 だからこそ2018年のワールドカップは待望の大会であり、初出場のパナマ代表も感慨深かったでしょう。
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