塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ポジションの特性を活用する形

2020-05-04 20:49:26 | 日記
 今では信じがたい話ですが、黎明期のエアー・ジョーダンは「打ち切り」の可能性がありました。

 ジョーダン4のシュータンには「フライト」の文字が確認できますが、これは1989年の発売当時、ナイキがバスケットボール界に新しい試みを提供したことが大きいのです。

 それまでナイキだろうがコンバースだろうがアディダスだろうが、ポジションに関係なく靴を提供していました。

 しかし、センターにはセンター、ポイントガードにはポイントガード独自の動きがあり、その靴は細分化されるべき、と彼らは考えたのです。

 その試みを具現化したのが

 ガードの選手に求められる俊敏性を軸に開発した「フライト」、フォワードの選手に求められるタフな靴づくりを目的した「フォース」という、ふたつのブランド形態です。

 ジョーダンはシューティング・ガードでしたから、ジョーダンをフライトに組む入れる、と言う案があったのですよ。

 サッカーではウールシュポルトがゴーリーに特化した生産体制を整えています。

 ユヴェントスの副会長であるパベル・ネドベドはチェコ代表として2003年のバロンドールに輝く名手でしたが、実はこの当時はウールシュポイルトを愛用していました。

 ゴーリー用のスパイクを開発することに長けていたウールシュポルトでしたが、フィールドプレイヤーに靴を提供した事例はさほど多くないはずです。

 それだけネドベドとの間には、深い信頼関係があったものと思われます。

 今後はサッカー・スパイクもゴーリー専用スパイク、グラブだけでなく

 センターバック専用スパイク
 センターフォワード専用スパイク

 という形でラストやアウトソールが開発されるようになるかもしれません。

 それは選手の走行距離がより長くなり、疲労の蓄積や移動距離お負担を軽減するならば、睡眠と食事、マッサージだけでなく、スパイクによる対処療法が必要ではないかと、勝手に想像したためですが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分を責めてしまう傾向

2020-05-04 20:24:29 | 日記
 僕が大学を卒業して雇用して頂いた勤務先は料理屋で、その後系列店の郷土料理屋に移動、そこでいったん仕事を辞めてしまいます。

 最初の料理屋では同期が3人いて、励ましあいながら、時には馬鹿話をしながら、何とか皆踏ん張っていました。

 しかし、事前説明とは異なる「現実」が徐々に明るみとなってゆき、他店舗に配属された同期もやる気を失っていると聞いたときは、さすがに愕然としましたね。

 最後となった郷土料理屋では、女将から

 「あんたは大学でているんだろ」
 「それくらい考えたらどうだい」

 と毎日のように叱責されていました。

 ノッティンガム・フォレストを率いた指揮官、ブライアン・クラフも口が悪かったと聞きましたが、やはり

 「物は言いよう」

 の側面は間違いなくあると思いますね。

 それ以上に嫌だったのが報酬でした。

 頂く金額の事ではありませんよ、僕はただ正社員というだけでパート従業員よりも高い金額を提示されていますが、仕事が出来るのは彼女たちの方で、僕は一番冴えないと自分でも自覚しているわけです。

 よく上司や同僚とウマが合わないという意見はありますし、それはサッカーも同様ですよね。

 レオ・メッシはグアルディオラとの出会いは当然大きく、後任のティト・ビラノバとの相性も大きかった一方、タタ・マルティーノやルイス・エンリケとはフィーリングが合わなかったと聞きます。

 僕は当時いつも帰宅する車の中で

 「ああ、早く仕事を覚えなきゃいけないのにああ」
 「また怒られてしまった」

 といつも自分を責めていました。

 その傾向は20年が経過した今でも何ら変わりません。
 
 前回の題名「僕は役立たずだった」は、今の僕を指す言葉でもあるのです。

 イタリア人のように、どこかちゃらんぽらんな形で生活していると「される」方々は、僕をけなすか笑い飛ばすかのいずれかなのでしょうね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕は役立たずだった

2020-05-04 20:09:38 | 日記
 題名を見て、ある書籍を連想された方がいらっしゃるかもしれません。

 今回の題名はグレン・マトロック著「俺はセックス・ピストルズだった」を参考にした形です。

 セックス・ピストルズは1978年1月、米国のウインターランドで行われたライブにおいて、ボーカルのジョニー・ロットンが聴衆に

 「だまされたと思ったことはあるかい」

 というセリフを残し、脱退した時点で瓦解したという認識が強いはずです。

 この時のベースがシド・ヴィシャスでしたが、バンド結成時はグレン・マトロックで、名曲「プリティ・ベイカント」を手掛けたのは彼なんですね。

 ですから前期から中期までのピストルズのメロディは、後期と比較した際荒々しくもなければ速くもない、安定して聴かせるだけの重厚感があります。

 しかし、彼はロットンと対立し脱退、「リッチ・キッズ」というバンドを組み、アルバム「王子の幻影」を発売します。

 誰だって自分が置かれた環境と学業、職業に対して

 「君がいてよかったと感じてほしい」
 「自分が自分らしく生きていたい」

 と思うものです。

 パンク・ロックは最後金儲けの道具になった側面がありますが、パンクのメンバーは基本貧しい労働者階級、つまり「ローライフ」をそれまで過ごしていた形でした。

 ですから「リッチ・キッズ」という名前は、セックス・ピストルズへの当てつけ、対抗意識が確認できるわけですよ。

 サッカー選手も常に、戦力であるか否かで判断されます。

 ウスマヌ・デンベレ 素晴らしい技術を持ち既にワールドカップ優勝を経験しているが、怪我が多い事でも知られている
 ピエール・オーバメヤン アーセナルは現行契約を更新したいと判断するだろうが、ドルトムント時代のように駄々をこねるかの異性もある
 ズラタン・イブラヒモビッチ LAギャラクシー在籍時は、その尊大な態度が受け入れられないという指摘があり

 など、成績面、人間性など、とにかく多角的に意見を述べられているのが、現在のサッカーです。

 ですから傲岸不遜、我がままを述べるのは、彼らが心の中で自分をもっと大切にしてほしい、という気持ちをこのような態度で示している、ようにも見えてきませんか。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする