塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

イングランドも主力が海外で活躍

2020-05-19 20:23:31 | 日記
 ジェイソン・サンチョ ボルシア・ドルトムント
 キーラン・トリッピアー アトレティコ・マドリード

 今までイングランド代表を構成する選手たちは、全選手がプレミア・リーグに在籍していました。

 しかし近年ようやく、代表の主力選手たちが海外リーグで揉まれるようになりました。

 2015年にはスティーブン・ジェラードがLAギャラクシーに移籍し、フランク・ランパードがニューヨーク・シティでアンドレア・ピルロ、ダビド・ビジャと出会う機会に恵まれました。

 またアシュリー・ヤングがインテルに移籍するなど、引退が近い選手、まだ存分に動ける選手が移籍し、経験値を高めてゆく。

 スペイン代表の実例を、今度は彼らを受け入れたイングランドが倣っているように思えます。

 日本代表も1998年フランスワールドカップは、招集選手すべてがJリーグに在籍していましたね。

 さかのぼる事その4年前、代表監督パウロ・ロベルト・ファルカンは広島が舞台となったアジア大会において、8強で韓国代表に敗れ日本を去ります。

 今の日本代表ならば、アジア「大会」にはA代表ではなく、五輪代表など代表経験に乏しい選手を送り込んだでしょうが当時は違いました。

 ジェノアで奮闘する三浦、守備では井原、柱谷など前年のワールドカップ予選で主力を担った選手を「普通」に召集し、同時に僕らもその形が当然の事だと思っていましたからね。

 2000年3月15日、マスメディアが

 「この中国戦で敗れたならば、トルシエは首ではないか」
 「背水の陣となる」

 と噂したように、指揮官トルシエは中田、名波、城と中国相手の一戦に、欧州で戦う3選手を招集し挑みます。

 この一戦で城が負傷してしまったことは、彼の今後のキャリアを大きく狂わせたと思いますし、トルシエが3選手をリーグ戦に集中させていたならばと思います。

 少なくともスペインの水に馴染み始めていた城がそのままバジャドリードでプレイし続けていれば、2002年のワールドカップ前線に確固たる軸が生まれたと思うんですね。

 それだけ海外に出ること、代表の層の厚さが勝利に直結することを思えばやはり日本は進化していますよ。
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僕が思う、デザイン上の注意点

2020-05-19 19:56:08 | 日記
 コンバースがドレイモンド・グリーンと契約し、バッシュのシンボルを名品プロレザーから受け継ぐ形で

 「シェブロン&スター」

 に統一してゆくようです。

 実はコンバース、1990年代は必ずしもバッシュに掲げるブランドロゴが、統一されいたわけではないんですね。

 90年代コンバースの第一人者であるラリー・ジョンソン、彼に提供されたバッシュにはエアログライドのように、最初からブランド・ロゴがないデザインもあります。

 彼に提供されたバッシュ、バックジャムやエアロジャムにはコンバースのハイパフォーマンスを意味する

 「CONS」

 というロゴが刻まれています。

 他の契約選手、ケビン・ジョンソン、JRライダーにラトレルにラトレル・スプリューウエルなどに提供されたバッシュには「星」と「CONS」がデザインされました。

 そして1997年、デニス・ロドマンと契約しますと、前年にアトランタ五輪モデルとして開発された

 「オールスター2000」

 を受け継ぐ形で、コンバース基本の形である「チャックテイラー」のアンクルパッチと、シュータンに「ALL・STAR」が施されます。

 その後の契約選手であるアンドレ―・ミラー、ボビー・ジャクソンなどを経て契約した2選手、クリス・ボッシュとドウエイン・ウエイド。

 ウエイドにか彼専用のシューズ「ウエイド」が支給され、大きな評価を得ますが最終的に彼はジョーダンブランド、そしてリーニンへ移籍します。

 長々と書いてきましたが、何をお話したいかといいますと、もしコンバースがバッシュのデザインの際、ブランド・ロゴを常に統一していたらよかったのにな、と思ったのです。

 例えばサッカースパイクでも、アディダスならばネメシズやエックスを作成する際、3本線はディフォルメされるかもしれませんが、3本線という基本は維持されています。

 それはプ―マならばフォーム・ストライプス、ミズノならばランバード・ラインが必ず外側から確認できるという点で、当然ナイキも同様です。

 スパイクもバッシュも新素材の開発から新衝撃吸収材の落とし込みなど、常に進化しています。

 だからこそデザインを起こす際には、何かしらの統一条件が今後は大きく求められるのではないでしょうか。

 (参考資料 スニーカーハンドブック 1984-1999)
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行先を間違えたという感覚

2020-05-19 19:44:38 | 日記
 僕は勤務先で「課」に所属していますので、課長に書類の押捺を頂く機会が多いのです。

 そして2018年8月23日、課長から部署移動を命じられ現在の部署にいるのですが、もしタイムマシンが存在しあの日に戻れるならば、まず受理はしないでしょうね。

 受理しなくとも会社の命令に逆らえるとは思えませんので、結果的には動く形になったのでしょうが、今でも基本「屈託」は抱えたままの毎日です。

 この屈託と言う心情を、僕と同じように抱えながら奮闘しているであろう選手が、ニューキャッスル・ユナイテッドに在籍する日本代表、武藤嘉紀ではないでしょうか。

 彼が2018年ワールドカップ終了後、移籍したニューキャッスルにおいて、入団初年度の先発出場は5試合でした。

 このときの指揮官はラファエル・ベニテスであり、2年目を迎えた2019年の夏にスティーブ・ブルース政権へ変化します。

 丁度このころでしょうか、マスメディアが

 「ムトウが指揮官の戦術を非難する」
 「越権行為だ」

 と批判的に騒いだのは。

 僕はこのブログを今、ワールド・サッカーダイジェスト2019年9月5日号を参考資料として書いていますが、32ページに描かれている夫人は3-4-2-1になっています。

 ただスティーブ・ブルースは伝統的なブリティッシュ・スタイルを好むそうで、マイボールを失いやすいロングパスやクロスを多用する指揮官なのでしょうね。

 ですから武藤としては

 「マイボールをもっと大事にしなければならない」
 「フィジカルに頼りすぎても駄目ではないか」

 という胸のつかえが、インタビューとして掲載されてしまったのではないでしょうか。

 彼も2018年夏に下した決断を、どこかで悔やんでいるでしょうか。

 恐らく当時の彼は

 1・マインツを離れる時が来た
 2・行先はプレミアでリーグ1やリーガではない
 3・マインツ以外のブンデスリーガのクラブも行先ではない

 と考えていたと想像します。

 僕もそうですが、単純に武藤は「行先」を間違えたにすぎず、指揮官と戦術と彼の性格が合致するクラブであれば、マインツ時代の勢いが戻ると思いますね。
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