塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

宿敵を覆う出来事を生むという現象

2020-05-21 18:33:34 | 日記
 ロベルト・バッジオが最後に在籍したクラブはブレシアです。

 彼が敬愛する指揮官、マッツオーネが宿敵であるアタランタ戦で、アタランタのファンが陣取る観客席に、試合終了後に物凄い勢いで駆け寄って挑発した、と言う出来事が過去にあったと思います。

 その理由は試合中、アタランタ・ファンがマッツオーネを挑発する言動を繰り返しており、激高したマッツオーネが終了と共に挑発返しをした、という形だったと記憶しています。

 そのアタランタがガスペリーニが手掛ける3-4-3で2019シーズンをリーグ3位で終了

 鮮やかにチャンピオンズ・リーグ進出を決め、既に8強に駒を進めています。

 そのアタランタへの対抗策が、ブレシアにおけるバロテッリの獲得だったのでしょうか。

 ウエブ版のサッカー・キングによると

 1・彼は今季、19試合で5得点を記録
 2・しかし来季はガラタサライかボタフォゴに移籍する可能性がある

 というように、ブレシアからの移籍を模索している模様です。

 ブレシアからすれば現在リーグ最下位であり、アタランタ躍進の報道をこのイタリア代表の獲得で消し去りたいと考えたのでしょうが、思うようにはいっていない様子です。

 スペインですとバルサろレアルは常に牽制しあいますが、セビージャとベティスの場合は後者が近年、耐えているように見えます。

 少なくともセビージャのヨーロッパリーグ3連覇に抗うだけの成績を、ベティスがおさめているわけではありませんし、アンダルシアを代表するクラブがセビージャと捉えられることは自然です。

 ファン・デルファールトの獲得は、もしかすればベティスのささやかなセビージャへの対抗心だったのでしょうか。

 その移籍劇にわずかですが乾が絡んでいたことも、ある意味特筆されるべきかもしれませんね。

 
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自らの意思でワールドカップを欠場すること

2020-05-21 17:59:59 | 日記
 ロシア代表のイゴール・シャリモフとアンドレイ・カンチェルスキス。

 前者がインテル、後者がマンチェスター・ユナイテッドと、イタリアとイングランドを代表するクラブに在籍するも、1994年米国ワールドカップには参加しませんでした。

 何故かと言いますと、当時のロシア代表はワールドカップ予選を戦っている最中から、指揮官のサドゥイリンと勝利ボーナスを含む諸条件から、選手との間に不和があったんです。

 仮に両選手がエントリーしていれば、ロシア代表の米国大会の戦績は、大きく変化したかもしれません。

 勝利ボーナスではありませんが、西洋のビッククラブの指揮官たちは

 ワールドカップ終了後の新シーズンは難しい
 選手の休暇が短く、同時に大会中に怪我をしているかもしれない
 活躍した選手が移籍するかもしれないし、残留しても報酬をアップすることを要求するだろう

 と、ワールドカップをある意味

 「有難迷惑な存在」

 と見ているためです。

 ちなみにこの米国大会のロシア代表には2002年大会にも参加する

 ビクトル・オノプコ(スパルタク・モスクワ)
 アレクサンデル・モストボイ(カンヌ)
 バレリー・カルピン(スパルタク・モスクワ)

 が出場し、バレンシアに在籍していたオレグ・サレンコが得点王に輝くのです。

 この94年大会を経験しているロシア代表に、モストボイ不在とはいえ韓日ワールドカップで日本が勝利して点は、もっと考慮されてよいと思いますね。

 ちなみに日本でも基本、勝利ボーナスや選手待遇で選手と協会が諍いを起こしたことは無く、この点もアフリカ大陸や南米各国から見れば、素晴らしい結果なのではないでしょうか。
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悲運に見舞われた背番号10の選手たち

2020-05-21 17:43:32 | 日記
 今日発売のワールド・サッカーダイジェストは、各国リーグ、代表における背番号10の系譜でした。

 ペレ以降背番号10はいつの時代でもサッカーの象徴と言えますが、必ずしも背番号10を背負った選手が優勝を果たしたわけではありません。

 背番号10を纏い、懸命にプレイしても拒絶された選手はどのような顔ぶれになるのでしょうか。

 1・シーラス

 ブラジル代表の一員としてイタリアワールドカップに出場した彼は、全くその輝きを見せることが出来ず、やがて京都サンガパープルサンガにたどり着きます。

 90年のブラジルは3-5-2という、ある意味欧州に迎合した戦術、布陣で戦い、いみじくも16強で前回王者アルゼンチンの前に敗れます。

 そのアルゼンチンも全く本調子ではないにも関わらず、マラドーナからカニーヒアへのスルーパスを食い止めることが出来ず、この一発の前に沈んでしまいます。

 ある意味、背番号10の力量が如実に現れた一戦でした。

 ライー

 1994年のブラジルは、ロマーリオとベベトが前評判通りの活躍を見せ、見事1970年以来の優勝を果たします。

 前線にはチアゴとラフィーニャ、ふたりのアルカンタラの父親であるマジーニョ、その後横浜フリューゲルスに移籍するジーニョ、そして若き日のロナウドが控えていました。

 ソクラテスの弟ではなく

 1.サンパウロでトヨタカップに2季連続出場し、見事優勝
 2・パリ・サンジェルマンで欧州の戦いを熟知

 という点で大きな評価を得たライー。

 しかしパリに移籍するまで休むことなく試合に出続けたライーは、ワールドカップの最中、疲弊した姿を隠すことができず、指揮官パレイラは背番号10を先発から外し、優勝ともぎとるのです。

 ロベルト・バッジョ

 恐らくイタリア代表の歴史の中で、最も背番号10の印象が強いのはバッジョではないでしょうか。

 ライー同様に優勝を掲げた1994年のイタリア。

 ゾーンプレスが絵に描いた餅に終わり、最後はバッジョのひらめきと個人技で決勝に辿りつくも、PKで敗れるという大きな苦渋を味わいます。

 最後のPK戦では彼だけでなくバレージも外していますが、最終となる5人目に登場したのがバッジョであり、ハイライトではいつも彼の失敗ばかりが流されるという、アンフェアな事態に陥ったこと。

 しかし、この点にも敗れたことにも反論しなかったバッジョだからこそ、大きな賞賛を集め続けたように思います。
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改めて感じる日本製の意義

2020-05-21 11:55:56 | 日記
 昨日、韓国から輸入したアルコール消毒液の成分が、ラベルに表示されている成分と大きく異なる。

 従って輸入した企業に消費者庁が注意勧告を促した、という報道があったと思います。

 でも輸入した国内企業からすれば、ラベル表示と実際の成分が異なっているとは、到底考えられなかったでしょうし、むしろ責められるのは韓国の製造元ではないでしょうか。

 よく日本製の品には

 「信頼の日本製」

 という表示がありまして、他国生産との違いを謡っています。

 ただ、過去の事例もあるように、必ずしも日本式の商売や販売が適格というわけではありません。

 過去にも廃棄品の再流通がありましたし、レナウンのように母体が大きくなりすぎたのでしょう、時流に迎合するだけの小回りが利かずに、中国企業との提携、そして破綻という事例も生まれました。

 ミズノのモレリアはその中でも確固たる

 「信頼の日本製」

 を世界中で認知されています。

 今は少なくなりましたが、モレリアを携帯して南米にサッカー留学すると

 「モレリアじゃないか」
 「俺にも履かせてくれないか」

 と現地の方が一斉に飛びついてくると聞きました。

 それはカレカ、ミューレルの時代から多くのブラジル代表が愛用してきたこともそうですし、一貫して変わらない生産体制と職人に手仕事、そして外見が皆の心を捉えているため、と僕は感じます。

 モレリアがモレリア・ウエーブ、モレリア2ジャパンなど、機能や販売体制を見直した形で送り出したスパイクも、多くの支持を得ました。

 ミズノからすれば契約選手に改良点を問いても何も変えなくてよいという返答が多々ある点。

 これこそが誇りであり、ジャパン・プライドの源になっているに違いありません。
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モレリアに見る持続する意思

2020-05-21 11:47:39 | 日記
 テレビ・コマーシャルを注意深くみていますと、洗剤や歯磨き粉など日用品がすぐに改良されていることがわかります。

 そして従来の品はいとも簡単に「過去の品」になってゆきます。

 そもそも「改良」は必要なのでしょうか。

 僕としては

 「最初の登場から成分も包装も何も買えない事」
 「店頭に行けば今まで使用していた品が帰る事」

 の方が大切ではなかろうか、と感じます。

 ミズノのモレリアがそうですよね。
 
 加茂スポーツやフタバスポーツのような大手も、廃盤品が発生した際は見切り品を用意します。

 それは当然新作が入荷すれば、限りある棚、陳列場所、倉庫を有意義に用いるためには廃盤品を値引きする、と言う形が必須です。

 しかし、モレリアはいつの時代でも「モレリア」です。

 店頭に行けばモレリアがある
 基本、発売当時の形を維持しているため、使用者は安心して次を買い求められる
 そもそも改良点が見当たらない、完成度の高さ
 慕って店舗も、値引きをする、販路を確保するという「余計な手間と作業」が必要ない

 という、売る側、作る側にも実に大きなメリットがある

 と僕は思うのです。

 本屋勤務の際は、限られた棚を用いるために、毎日本を間引きしては棚を確保していました。

 それだけ新商品が溢れると、膨大な作業が発生してしまうのです。

 ミズノもモレリアからモナルシーダという派生形が生まれ、レビュラ登場の際はバサラが廃盤になるなど、モレリア以外の商品はやはり廃盤が生じています。

 それでも「持続性」という点を考慮すれば、モレリアのような形を生み出すこと、その販売方法は多くの日本企業にとって大きな指針になる、と思うのですがいかがでしょうか。
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