塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

食べないという判断を尊重してみました

2021-01-13 20:34:06 | 日記
 日本には無駄なゲン担ぎがあります。

 それは勝負に「勝ちたい」からカツ(勝つ)丼を食べる、という本当に無意味な食事を試験日前、サッカーに限らず競技において大切な試合の前日に胃袋に納める、というものです。

 ラグビーならばエディー・ジョーンズ、ジョン・カーワン、そしてジェイミー・ジョセフ
 サッカーならばヴァイド・ハリルホジッチ、ハンス・オフト、アルベルト・ザッケローニ
 プロ野球ならばファイターズで日本一に輝いたトレイ・ヒルマン、マリーンズで2度の指揮経験を持つボビー・バレンタイン

 日本は時に外国籍指揮官の手を借りて成長を成し遂げてきましたが、もし試合前日、選手たちが「仮に」このような食事をする、高校生や中学生が日常的に摂取していたとすれば。

 天を仰ぐ
 呆れても物も言えない
 意味のない「ゴロ」あわせに愕然とする

 のではないでしょうか。

 こんなカロリーも高く、糖質過多、何より夜胃がもたれて眠りにくいであろう食事を、過去は勝てると自分に信じ込ませてたべていたわけですからね。

 やはりプロ競技があれば、最先端の食生活、栄養素が学べる利点があります。

 僕はこれまで昼食に、4個入りのベビーチーズやソイ・ジョイなど、1品足すことでタンパク質や食物繊維を補うようにしていましたが、今日から摂取をやめてみました。

 それは買うのが面倒になったからではなく、栄養素を摂取するよりも

 最低限の食事量で体を維持すること
 食べる意思よりも「食べない」意思の方を持つ

 方が賢明だと感じたためです。

 野球、サッカー、陸上、バスケットなど競技によって鍛えるべき部位は異なると思いますが、根幹となる栄養素や睡眠の質に変わりはないはずです。

 だからこそ、食べ過ぎない事が胃と腸に賭ける負荷を減らすのではないか、という考えに至りましたね。
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世代によって解釈が異なる事

2021-01-13 20:16:41 | 日記
 1987年から9年間に渡り活躍した光ゲンジ。

 彼らが所属していたジャニーズ事務所はそれ以前には「少年隊」、以後「スマップ」と「嵐」というスーパーグループを生み出しています。

 しかし彼らを差し置いても、光ゲンジの存在は本当に突出しており、もし同時現在のようなスマートフォンとインスタグラムがあれば、更に知名度と人気は向上したに違いありません。

 ただ一方で

 「私はスマップが今でも大好き」
 「スマップも光ゲンジもすごいけれど、最高なのはやはり嵐の5人」

 と言う方がいることも当然で、これは主観と生きてきた時代にあります。

 今の10代の方は、光ゲンジのことをそもそも知らないはずですし、彼らに熱狂したファンは光ゲンジとスマップ、嵐を皆テレビや雑誌インタビューで経験していますから、マクロで判断できます。

 サッカーもそうですよね。

 例えばバイエルン・ミュンヘン

 1970年代、ゲルト・ミュラーとベッケンバウアーの時代が最高なのか
 2001年、ガーナ代表サミュエル・クフォーのゴールで、トヨタカップを獲得した選手たちが最高なのか
 2013年、3冠を達成したフランク・リベリやアリエン・ロッベンの時代が最高なのか
 2020年、ハンジ・フリック政権の選手たちが最高なのか

 若い方からすれば、ゲルト・ミュラーとベッケンバウアーは当然ビデオや書籍の中にしか登場しませんし、オールドファンならこの偉業を成し遂げた時代をすべて把握できています。

 相対的に判断するのか
 今、自分が生きている時代だけで判断するのか
 名手同士を比較するのはナンセンスか

 など、様々な解釈があってもいいと思います。

 バスケットボールだってそのうち、不世出の名手マイケル・ジョーダンを「誰ですか」と言う世代が現れるはずです。

 僕が老人になったころは、メッシもロナウドも過去形でしか見られない世代が軸になるわけですからね。
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