塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

コロナ禍におけるスポンサーシップの在り様

2021-01-12 17:33:43 | 日記
 山梨学院の優勝で全日程を終了した冬の選手権は無観客開催でした。

 変異種が登場し、更に油断できない形のコロナウイルスの影響は、1年延期で今年にずれこんだ、欧州選手権2020、東京五輪にも大きな余波を与えそうです。

 また2022年のワールドカップ、2023年のラグビー・ワールドカップも僕は不透明な部分が多い気がします。

 今年、先の2種のビッグイベントが開催されるとすれば、無観客しかないと思います。

 実は昨年の4月、長野市を聖火ランナーが走るということで、僕は休暇申請をし受理されたので見学に行こうと思っていましたが、ご存知のように中止となりました。

 今年も聖火ランナーが走る時期が迫っていますが、これまた無観客ということになるのでしょうか。

 これを考えたのは仮に無観客で行われた場合、五輪スポンサーであるP&G,アサヒビール、コカコーラなどはこれまでつぎ込んできた販促費用を回収できないのではなかろうか。

 と素人なりに考えたためです。

 ここまでも企業が販促費用を回収できないために倒産することはないでしょうが、大きなリストラなどをしなければ良いなあと思ったんですね。

 何故かと言いますと、スポーツナビにおいて長崎ちゃんぽんの提供で知られる「リンガーハット」

 リンガーハットの業績が回復せずに、契約する内村航平氏とのスポンサー契約を断念するとあったためです。

 五輪の金メダルを持ち、世界でもその存在を知られる彼ですら、スポンサーが離れるのであれば、J3やJFL、そしてWEリーグもスポンサーがつきにくいのではないでしょうか。

 2018年ワールドカップは中国企業の看板が目に付きましたが、既にアトレティコ・マドリードを支援していたワンダは、スタアジアムの名である

 「ワンダ・メトロポリターナ」

 だけを残し、運営から撤退しているはずです。

 東洋経済やダイヤモンドは、現在の影響でも業績向上の企業を特集していますが、その企業が支援するかどうかは定かではない五輪やワールドカップ、Jリーグを見ると気分が落ち込んでしまいますね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野球とJリーグにおける移転、名称変更

2021-01-12 14:29:34 | 日記
 プロ野球は移転の歴史でもあります。(基本はパリーグの話ですがね)

 埼玉ライオンズは創立当初は西鉄ライオンズ
 福岡ソフトバンク・ホークスは創立当初は南海ホークス
 千葉ロッテ・マリーンズは創立当初ロッテ・オリオンズ

 パリーグは収益がセリーグの比べてじり貧の時代があったと聞いても、今の世代はよくわからないでしょうね。

 Jリーグですと横浜フリューゲルスの事例は、いつの時代でも教訓になります。

 パリーグでも

 オリックス・バファローズは大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウエーブの合併で誕生
 オリックス・ブルーウエーブの母体は名門阪急ブレーブス

 というように、切ない事例なんですよね。

 ベースボールマガジン2021年1月号は「大洋ホエールズ」特集ですが、今の横浜DENAベイスターズの母体がホエールズです。

 誌面の中で指摘がありました、新チームに編成した際チーム名が完全にリニューアルされ、選手の中には

 「ホエールズという名前が残っていないよ」 
 「何とか残せないものか」

 という戸惑いがあったと言います。

 京都パープルサンガが京都サンガ
 東京ヴェルディ1969は東京ヴェルディ

 というように、名称を変更した事例はJリーグにもありますし、ザスパサガンもそうでしたね。

 実はかつて移転もありまして、実は現在のアビスパ福岡の母体は、静岡県藤枝市に存在していた「藤枝ブルックス」でした。

 でも基準を満たすスタジアムが無く、Jクラブを誘致していた福岡に移転した、というわけです。

 実は福岡市は西鉄ライオンズが「太平洋クラブライオンズ」と言う形で福岡に移転し、以後「西武」ライオンズと名称変更し、埼玉県に移転していく様子を、黙ってみていた、その点をすごく後悔していたと聞きます。

 ですから南海ホークスを誘致し、ダイエーホークス、福岡ソフトバンクホークスという形でチームが根付き、同時にアビスパ福岡を誕生させたのも、福岡の皆さんが持つ情熱と後悔の意味合いかもしれません。

 移転、名称変更は出来る限りしない方が良いのが賢明です。

 そこには間違いなく選手とファンの気持ちがあり、一度変更したことを元に戻すことは、まずできませんからね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

政治家が競技を語る事

2021-01-12 14:15:01 | 日記
 ドルという通貨は基本、米ドルを指しますが、カナダドルやオーストラリアドルもありますよね。

 ただ、価値基準が全く異なるため、より強い米ドルの方が信用度が高いわけです。

 MLB,NBA,NHLでカナダのチームは米国と共にリーグを編成していますが、米国有利なのはこのドルの価値が異なる、と言う点にもあると言います。

 ですから2019年、NBAのトロント・ラプターズが優勝したことは、本当にすごい事ですし、同年ワールドシリーズで優勝したワシントン・ナショナルズの母体はモントリーズ・エキスポズでしたから。

 前回お話したカナダの英雄ウエイン・グレツキー。

 彼が在籍するエドモントン・オイラーズから米国のLAキングスに移籍する際、カナダ国会において

 「我が国の至宝を、金のために米国に売却するのか!!」

 と議論が沸騰したんです。

 グレツキーと言う存在は、それほどカナダにおいて

 カナダという国を体現している
 自国のアイディンティティである

 事を意味していたのです。

 1998年、イタリア国会でもカルチョのおける審判問題が議論されます。

 それはインテル対ユヴェントスのナショナル・ダービーの事です。

 当時のインテルはエースのロナウドがまだ膝の故障前であり、その類まれなな技術と縦への突破力は、センターバックの猛者が集うイタリアでも脅威だったんです。

 そのロナウドとユヴェントスのセンターバック、イウリアーノが誰もがファウル、しかもボックスエリア内で倒してしまいPKがインテルに与えられると感じたその瞬間です。

 審判はファウルはおろかカードの提示もせす、試合は続行します。

 結果、インテルは敗北し、温厚で知られる指揮官ジジ・シモーニですら烈火のごとく怒りを現し、国会ではインテルファンとユヴェントスファンの議員が言い合いになるという顛末だったんです。

 当時、既にカルチョポリは行われており、発覚するのはその8年後になるわけですが。

 僕が言いたいのは選手の移籍や審判の判定ではなく、国会で議論されるほど重要視されなくては、本当に生活に根付いてはいない、ということではないか、という意味です。

 その範疇でいえば、野球もサッカーもまだまだ、なのかもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カナダを代表するアスリートと言えば

2021-01-12 14:05:23 | 日記
 僕が大学卒業後、最初に勤務した料理屋に外国籍のお客さまが来店しました。

 「失礼ですが、お国はどちらですか」
 「私はカナダから来ました」
 「私はウエイン・グレツキーを知っていますよ」

 との会話の後、彼はいきなり興奮して

 「グレツキーを知っているんですか!!」

 と語りかけてきたのです。

 ウエイン・グレツキーがアイスホッケーが最大の人気を誇りカナダの英雄であり、

 「NHL史上最高の天才」
 「氷上のマイケル・ジョーダン」

 と讃えられた名手の中の名手です。

 バファロー・セイバースならばドミニク・ハシェック
 ピッツバーグ・ペンギンズならばマリオ・ルミュー
 マイティダックス・オブ・アナハイムならポール・カリヤ

 どのNHLのチームにも語り継がれる名手がいますが、どんなに熱心なファンでもグレツキーの事は、敬意の対象であるに違いありません。

 よく、中田英寿がペルージャで活躍し始めたころ、ミラノやローマなどの大都市で日本人が「ナカタ」と話しかけれたと聞きます。

 それは物珍しさもあるでしょうが、東洋人のくせしてマシな方だという意味合いだったのかもしれません。

 イタリアはフランスやスペインと同様に野球も行われていますが、イタリア人選手を米国、日本、韓国が欲しがると言えばそうもいかないでしょうしね。

 僕はグレツキーが母国カナダのエドモントンでデビューしたあと、LAキングス、セントルイス・ブルース。ニューヨーク・レインジャーズに在籍し、長野冬季五輪にカナダ代表として参戦したこと。

 これらは知識としてありましたので、からかい半分でお客様に伝えたわけではありません。

 そのカナダとアイスホッケーの印象を覆す

 「バイエルン・ミュンヘンのアルフォンソ・デイビス」
 「近い将来、彼がフルバックの姿を変える」 
 「バロンドールを受賞しても不思議ではない」

 というエピソードを思うと、やはりスポーツを追いかける価値があると思いますよ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外国籍選手にとっての安住の地

2021-01-12 13:48:44 | 日記
 鹿島アントラーズならばジーコ
 浦和レッドダイヤモンズならばギド・ブッフバルト
 ジュビロ磐田ならドゥンガ

 どのクラブにもファンが思い入れある外国籍選手がいたものです。

 この3クラブでもう少し例を挙げますと、ビスマルク、ジョルジーニョ、レオナルド、エメルソン、ロブソン・ポンテ、グラウ、ファネンブルグ、などが僕にが思い浮かびます。

 勿論、獲得そのものがうまくいかなかった例もあります。

 アントラーズならばファビオ・ジュニオール、ベベト
 レッドダイヤモンズならばハウストラ、デスポトビッチ

 がそうでしょうか。

 ジュビロならばカミンスキやムザエフ、レッズならばサヌ、アントラーズならばアルシンドのような名わき役もいましたね。

 その中で、名古屋グランパスエイトだけでなく

 「Jクラブ最高の外国籍選手」

 として名が挙がるであろう選手がドラガン・ストイコビッチです。

 彼の場合は、上記の選手たちと些か様相が異なります。

 彼は契約が満了すればすぐに帰国する予定でしたし、来日時の指揮官ゴードン・ミルンが教え子であるギャリー・リネカーは尊重するも、ピクシーのことを当てにはしませんでした。

 しかし、ミルンの後任人事でアルセーヌ・ヴェンゲルが就任すると、その風向きは変わり、結果1994年から7年間、日本(名古屋)で過ごすことになります。

 一番大きい違いは

 「彼が戦火で苦しむユーゴスラビアを忘れなかった事」
 「何よりイタリア、フランスで傷ついた心を修復することができたこと」
 「ファンの愛情が嬉しくて仕方が無かった」

 という点でしょうか。

 ワールド・サッカーダイジェスト2015年2月5日の68ページにおいて、バルセロナの一番星として現在神戸に在籍する

 「セルジ・サンペール」

 が紹介されています。

 彼にとってバルセロナではなく、港町神戸が安住で安らげる場所であるなばら、神戸ファンにとって何よりもうれしい出来事ではないでしょうか。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする