塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

アディダス、ワールドカップ公式球をお披露目へ

2022-03-30 21:09:14 | 日記
 アディダスは「旅」を題材に、開催国カタールの伝統文化をデザインとして落とし込んだワールドカップ公式球「アル・りふら」を公開しました。

 キャプテン翼やオフサイドという名作漫画で描かれた、かつての白と黒の配色は既に過去の代物であり、デザインも機能も進化していることが窺えます。

 サッカーボール製造は英国のマイター、日本のモルテンとミカサが知られている一方、ナイキも有力な供給先です。

 2019年アジア杯の公式球はモルテンが手掛けたことで知られていますが、ワールドカップ公式球は、常にアディダスが手掛けており、ナイキからすればどんなに選手契約と代表契約を伸長してもアディダスに遅れをとっているような印象を与えています。

 NBAはスポルディング
 MLBはローリングス

 というように、どの競技でも公式球は一つのブランドに集約されていますから、契約を結ぶことは自社の信頼だけでなく利益の面でも相当なうまみがあるのでしょうね。

 ただ、大リーグの選手たちもローリングスの肌触りよりも、ミズノのボールの方がしっくりくるという感触を持つようで、それは昨年の東京夏季五輪でも顕著だったようです。

 ワールド・ベースボールクラシックは大リーグ機構が運営、展開をしていますから、最終ラウンドは常に米国でお行い、収益の多くが米国に流れ、公式球は常にローリングスという図式は今後も続くと思います。

 同様にアディダス以外のブランドが、ワールドカップ公式球を手掛けることも2026年にはないでしょうが、今後は入札やブランド変更があるかもしれません。

 ただ、アディダスは威信にかけてボールの製造を行い続けるでしょうし、その牙城が崩れることはないとも感じます。

 アディダスと契約し続けるのか、他社に契約が変更されるのかも、ワールドカップの行方の一つと言えるでしょう。
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サッカーにおける知る悲しみとは

2022-03-30 15:20:22 | 日記
 「よく考えてみると、人生ってやつは知らない悲しみより知る悲しみほうが、100倍上質だと言える。」

 講談社α文庫 島地勝彦著 甘い生活より引用

 では知る悲しみを、サッカー、欧州でいう「アソシエーション・フットボール」に換算すると、僕たちには何が思い浮かぶでしょうか。

 例えば1990年代の阪神タイガースは万年最下位、シーズン勝ち越しなど夢のような話でしたが、ファンたちはむしろ

 「弱い阪神タイガースが好き」
 「勝てない阪神タイガースが酒のつまみに最適」

 という風情を見せ、新監督が就任すると必ず「優勝を目標に」と語りますが、たかだか6球団の争いとはいえ、最下位のチームがいきなり優勝(当時はプレイオフがありません)し、日本シリーズに出場を語るのは、無謀としか思えませんでした。

 サッカーでは最下位であればJ2降格、翌年も最下位ならばJ3降格という形で1部にはいられません。

 同時に当日の天候が観戦といえるかは定かではありませんし、バスケットボールやバレーボールのように屋外競技のような快適さは、そうそうあるわけではありません。

 贔屓の選手が怪我をする
 贔屓の選手が移籍をする

 事でも落胆するでしょうし、日本代表は無事にカタール・ワールドカップに参戦しますが、ワールドカップに出場できない痛みは、いつの日かまた日本全体を覆うかもしれません。

 でもアソシエーション・フットボールを知ることは、楽しみとしても最適ですよね。

 僕はサッカーを通じて語学や服飾文化、クラシックやオペラを学びたいという気持ちになりましたし、実際CDで英語の発声練習はしばしばしますし、クラシックのCDを聴くことはどこか心の安寧に通じているようにも感じます。

 ただ、サッカーの知る悲しみは日本ではまだまだこれから、という気もしますがね。
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ベトナム代表戦のGKに関して

2022-03-30 14:58:23 | 日記
 森保一日本代表監督は、昨日のベトナム代表戦のGKに川島永嗣を起用しました。

 僕個人はシュミット・ダニエルが用いられるのではないか、と想像していましたが、現状指揮官はシュミット・ダニエルを第3GK、川島を代2GK、そして権田修一をレギュラーとして登用すると思われます。

 ベンフィカ・リスボンの小久保ブライアンや、ポルティモンセ移籍でかつての自分以上の自分になると考えた中村航輔の招集は、少なくともカタール・ワールドカップに関してはないでしょう。

 中村がロシア・ワールドカップにエントリーした際、今後彼が代表GKを担うと思っていた方は多いでしょうが、柏レイソル時代、確か脳震盪に見舞われたと思うのですが、クラブも本人も思う以上にその影響が拭えていないように感じらます。

 ちなみに日本代表の平均年齢は、勘定したわけではありませんが恐らく27,28歳程度と思いますが、この平均年齢を1歳から1・5歳下げることも今後は考慮すべきではないでしょうか。

 久保建英がA代表に登場した際、皆がさわやかな風が吹いたと思ましたよね。

 それは何故かといえば、彼がFCバルセロナの下部組織で確かな成長を見せたこともありますが、10代後半で日本大法に登場したというその年齢にあります。
 
 日本代表選出は年齢は関係ない、これは確かに大前提ですが、4年というアジア杯とワールドカップの周期を考えますと、やはり年齢の低い選手の方が場数を踏めるという点では、登用するメリットが大きいことも確かです。

 もし代表に閉塞感があるとすれば、面子が固定されすぎているという証拠であり、大岩剛五輪代表監督と相談しながら、選手の登用は考えるねべきかもしれませんが、恐らくその時期はもうすぎていますから、現存の選手たちで調和を磨く形になるのでしょうが。
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ポロカラーシャツに見られる自由から

2022-03-30 00:25:06 | 日記
 ユヴェントスを所有するアニエッリ家は、フィアットの経営も兼ねています。

 男性服飾誌を通読している方ならご存じですが、2003年に他界したジャンニ・アニエッリは、その美しい佇まいと背広の着こなしで知られた稀有な存在でした。

 一方でジャンニ・アニエッリは

 1・英語の家庭教師から常に「あなたはアニエッリなのですよ!!」と常に叱責される、きつい教育を受け続ける
 2・米国留学の際出会う、ブルックス・ブラザーズのポロ・カラーシャツに、米国が描く自由を見つける
 3・このシャツを大量に購入し、いつ着用してかまわないように、世界中に別荘に賞美する

 というように、自身の立場を痛烈に感じながら生きた人物でもありました。

 彼は当然、ミッシェル・プラティニやパオロ・ロッシなど、1980年代にの黄金期を目の当たりにしたでしょうし、アンドレア・アニエッリがUEFAチャンピオンズ・カップを追い求めるこてゃ、ユヴェントスの有鬚回数が2回と極端に少ないこともあるでしょう。

 ただ、アニエッリ家にはユヴェントスを欧州最高のクラブにする責務がある、と考えているためでもあると思うのです。

 僕は米国製のポロ・カラーシャツは1着、中古で購入したインディビジュアライド・シャツと、マレーシア生産のブルックス・ブラザースがあります。

 同じく中古で購入のビームス別注、「オリアン」もありますが、米国とイタリアではこうもポロカラーシャツの仕立てにお国柄が出るのかと興味深く思えますし、サッカーと同じだなと痛感します。

 米国のジャーナリストであるジョージ・フレイジャーが

 「ポロカラー・シャツはね、襟のロールが命なんだ」

 と語ったと言いますが、実際シャツのロールに触れる際は「愚の骨頂」と僕でさえ感じます。

 サッカーも同様で、パスを美しく回すことが要なんだよと誰かが言いそうな気がしませんか。
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父親と息子の在り方について

2022-03-30 00:12:55 | 日記
 僕の両親、とりわけ父は僕に対していつもこういいます

 「そんなこと、お前に出来るのか」

 僕はその言葉を聞くたびに身体が縮こまり、同時に心の中でつぶやくんですよ
 
 「おう、挑戦してみろよって励ましてくれないの、そんなに僕にとって分不相応なの」
 「僕はただ、温かい言葉をかけてもらいたいだけなのに」

 46歳にもなる長男が妻もおらず安月給しか稼いでこない現状を考えれば、僕自身に信じてもらえる要素は確かに無いのですな。

 両親が描いていたであろう未来は実現せず、僕自身将来を通じて「お父さん」「パパ」などと呼んでもらえる日は、永久に来ないと思います。

 サッカーの世界では父が名手で子供が凡庸という事例は悲しいけれども、しばしば起こることです。

 逆に子供が父の名声を軽々と超えることもありますし、それはバスケットボールや野球の世界でも同様ですが、サッカーはよりグローバルなな競技ですから、凡庸な成績では広範囲にわたるファンを満足させることが難しいっわけです。

 もし僕が名手の子供でサッカーに懸命に取り組み、それでもパッとしない成績しか残せないのならば、痛烈に自分を恥じるでしょうね。

 ただ、それでも父親から

 「よくやったぞ、練習にも批判にも耐えてきたじゃあないか:」
 「お前は私の誇りだ」

 と肩をたたいてほしい物だと思いますし、それは心のどこかで僕自身が痛切に感じている事柄でもあるのです。

 講談社の週刊少年マガジンで一時代を築いた「ミスター味っ子」において、人がいつまでも追い求める味付けは「母親の味」というシナリオがあったと思いますが、イタリア代表の選手たちもワールドカップ予選敗退の痛手を「マンマの味」で紛らわせているかもしれいませんね。

 両親との関係が常に良好、という形の方が圧倒的に少ないでしょうが、それでも肩に手を置いてほしいと願う子供は、サッカーに限らず多いのではないでしょうか。
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