塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

就職合同説明会が始まる中で

2022-03-07 19:04:12 | 日記
 長野県内でも新型コロナウイルスに対応しながらの「合同就職説明会」が開催されるようになりました。

 僕も山梨学院大学在籍時、特急あずさにを利用して松本駅まで出向き、そのまま各駅停車で長野市まで移動して会場入りしたことは何度もあります。

 さすがに日帰りで長野と甲府を往復した際は、疲労でアパートに帰ってぐったりということもありましたが、僕のような不真面目大学生は数打てば何とかなる、という無駄なあがきをしていましたね。

 僕は今も昔も友人との付き合い、先輩との付き合いがありません。

 先輩から小突かれる、馬鹿にされることはあっても親切にされたことなどないためです。

 ですから皆さんがしたであろうOB訪問はしたことすらなく、企業情報は自分でかき集めていたものです。

 ただ、合同説明会で総務課や採用担当者と対面で話すことができる機会は、誰もが重宝すると思いますし、有効活用すべきですよね。

 その先輩の声を「アンブロ」が伝えています。

 アンブロ(デサント)公式サイトでは

 「私がアンブロを選ぶ理由」

 としてホンダFCに在籍する鈴木雄也選手が登場し、自身の言葉で説明しています。

 また終身契約選手として知られる遠藤保仁が、アンブロが開発したジュニア・ユースを実際に確認しながら、機能性(靴ひもではなくジッパーの採用、革靴でいうサイド・エラスティックを採用することで、靴紐がなかなか結べない子供たちへの配慮)について語っています。

 契約選手たちの声を担当者やスポーツ店が聞く機会は多いと思いますが、アンブロに限らず選手の声が公式ページで確認できる試みは少ないと思いますから、反響はとても多いのではないでしょうか。

 スパイク選びは怪我の予防という点でも大きいでしょうしね。
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人間が美しさに身をゆだねること

2022-03-07 18:49:57 | 日記
 今、マルタ・アレグリッチ演奏のフレデリック・ショパン「ポロネース英雄」を視聴しながら、このブログを書いています。

 ポロネースは第7楽章まであるのですが、恐らく第6楽章である「英雄」を好む方が一番多いと思いますし、代表曲「ノクターン」「子犬のワルツ」「子猫のワルツ」よりも知られているように感じます。

 ある意味、ショパンに関する入門曲でありダイジェストではないでしょうか。

 サッカーでいいますと、試合における得点の場面とその前後を編集した「ダイジェスト」のような形、かもしれません。

 一番の盛り上がり、誰もが聴く、見ると興奮するという形ではワールドカップも同様です。

 1986年のワールドカップ、メキシコ大会のフランス代表対ブラジル代表が該当するように感じませんか。

 ワールドカップの歴史において、最も美しい試合
 ジーコとプラティニが最後となるワールドカップ

 として知られるこの一戦ですが、ハイライトはその名手ふたりがPKを外す場面です。

 1984年の自国開催の欧州選手権、9得点を挙げて優勝という責任と名誉を守ったフランス代表とプラティニですが、2年後のメキシコ・ワールドカップではそこまでの逞しさが消えていたのか、準決勝で敗れ、優勝は12年後、やはり自国開催と共に

 ディディエ・デシャンという勝負師
 ジネディーヌ・ジダンという天才

 両選手が登場してからになります。

 ジーコはこのワールドカップの前、太ももに怪我を負っており、おまけに指揮官のテレ・サンターナはジーコに下準備の時間を与えることなく途中出場させ、そのすぐのPKを外す要因を作ってしまいます。

 ブラジルの優勝は1994年に訪れるわけですが、ある種「組織」を前面に出したカルロス・パレイラの戦術は不評でした。

 やはり皆、クラシックもサッカーも「音色」に自分をゆだねたい、当感じるからこそ美しさを讃えるのでしょう。
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将来の事をうっすらと考えてみて

2022-03-07 14:46:56 | 日記
 昨年光文社新書から刊行された落合博著「新聞記者本屋になる」を昨日購入しました。

 僕は本屋で働いていた時期がわずかですがあり、本の入荷量とその重さ、返本処理の大変さがある程度は把握しいています。

 ちなみに儲からないことも万引きが非常に多いことも知っていますし、既に出版社は紙の本を流通させること、これ自体をおっくうに感じているらしいですしね。

 フットボリスタが2か月に1冊の形で書籍を流通させ、最新情報をネットで発信するという手段は、今後のサッカーにおけるマスメディアの基本となるに違いありません。

 ちなみにこの書籍を買った背景には、僕もどこかで勤務先まで毎日通うのではなく、仮に独立して商売(そんな才覚は微塵もないので実行しませんが)できないものか、と考えることがあるためですが、皆さんも案外同じかもしれないと感じたためです。

 特にサッカー選手は引退後の生活を考慮する時期が必ず来ます。

 一例としては

 1・テレビ局と専属契約し、代表の解説をする 例 テレビ朝日と松木安太郎 TBSと福田正博
 2・古巣を突くめてコーチや監督を目指す、実際に指揮を執る 例 ガンバ大阪と宮本恒靖 京都サンガとチョウ・キジェ
 3・実業家への転身 例 鈴木啓太 過去浦和レッドダイヤモンズに移籍 石塚啓次 過去ヴェルディ川崎に在籍

 などが確認できます。

 勿論開設者やコーチとして生計を得られる元選手の方が少ないですし、引退後にいきなりエクセルやパワー・ポイント、名刺交換を覚えながら一般企業勤務というのも大変でしょうしね。

 ただ、引退が近いからあとの事を考えるのでなく、想像やおぼろげでよいのでいつも人生を考えることは、選手たちだけでなく僕たちにも不可欠だと思いますよ。

 だって将来は本当にどうなるのか、本人ですらわからないわけですから。
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かつての担当者と遭遇した場合

2022-03-07 14:30:53 | 日記
 僕はつくづく小心者だなあと思う事があります。

 出かけた先でかつての卓球部員「らしき」人物を見かけたことがあるのですが、声をかける、近況を報告しあう、挨拶するという行動は一切せずに、その場をやり過ごしてしまうんのです。

 僕は他人様の現状やプライバシーに関心がないことも事実ですが、内心どこかで

 「昔のように話が弾むことなどあるわけがない」
 「彼が僕から話しかけらても迷惑だろうな」

 と考えてしまうのです。

 僕個人、同級生しかもたいして話をしたことがない人物から

 「盛彦くんだよね」
 「私の事覚えている」

 と話しかけられて、面食らったことがありその影響もあって進んで話しかけることはありません。

 サッカー選手も「かつての代理人」「かつでのブランド担当者」とスタジアムで遭遇した時は緊張するのではないでしょうか。

 例えばポール・ポグバはナイキからアディダス、メンフィス・デパイはアンダーアーマーからプーマ、宇佐美貴史はアディダスからアシックスを経てプーマというように契約先を変更していますが、ブランドの顔だった選手からすれば尚更、かつての担当者に会いたくないのではないか。

 と想像してしまいます。

 宇佐美貴史がアディダスからアシックスに移籍したことも驚きでしたが、わずか1年でアシックスからプーマへと契約変更したことも驚きでした。

 選手からすれば、自分に最適な用具を選んだにすぎませんが、なかなかできる決断ではありませんよね。

 ですからアディダスが中村俊輔を終身契約を結び、アンブロが柴崎岳のために専用スパイクを企画していることの凄さが改めてわかる気がするのです。

 もし僕が選手ならば、契約延長をしない旨を伝える際は、恐ろしいほど前の夜に寝返りを打つと思いますから。
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映画グラン・トリノをブルーレイで鑑賞して

2022-03-07 14:15:42 | 日記
 クリント・イーストウッドが手掛けた「グラン・トリノ」

 イーストウッド自身が主人公のウオルト・コワルスキーを演じるこの映画ですが、隣人のモン族「タオ」との触れ合いの中で、コワルスキー自身が心境を変え、タオの表情が彼と出会うことで豊かにたくましくなってゆく過程が丹念に描かれています。

 この映画では侮蔑的な表現が多々登場しますが、言葉というものはその世代に応じて、今でもつい出てしまう物だということもわかります。

 1976年生まれの僕ならば

 テレビゲームは「スイッチ」ではなくファミコンと例える
 流行の事を「ナウい」と言いかねない

 という代物でしょうか。

 最後は暴力に訴えることの愚かさが鮮明に登場しますが、それは他民族で構成されている米国的発想なのか、定かではありませんが。

 タオとウオルトの関係は、ホゼ・モウリーニョとベニー・マッカシーのような形だろうかとも同時に考えました。

 ベニー・マッカーシーは南アフリカ代表選手として名をはせ、FCポルト、ブラックバーン・ローヴァーズなどに在籍し、2004年にはFCポルトでUEFAチャンピオンズ・リーグを勝ちとり、その年末には東京でコパ・トヨタでカップを掲げます。

 彼はモウリーニョに対して

 「俺は彼のためなら死ねる」

 とまで言い切り、フランク・ランパードやジョン・テリーなど、翌年チェルシーで出会う選手たち以上の発言をしています。

 グラン・トリノにおいてタオは「親戚」を名乗るゴロツキたちの餌食となる、気弱な初年でしたがウオルトの下で働き、工具の使い方と伝達してもらうと、その表情が明るく元気になります。

 マッカシーもモウリーニョと出会った当初は、タオのように自信に満ちた選手ではなく、むしろ実力を正当に判断してもらう機会がなかったのかもしれません。

 ただモウリーニョとの出会いが大きく気持ちを変え、自分の成長を促してくれたことへの感謝が、死ねるという言葉となって登場したように感じます。

 
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