塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ロシアから敬愛されるフース・ヒディンク

2022-03-13 18:13:24 | 日記
 フットボリスタ2021年11月号のコラム(133ページ)において、監督業を引退したフース・ヒディンクが、ロシアから大きな敬意を受けているとあります。

 題名は「サッカー界における全能のフースの遺産 引退表明ヒディンクがロシアで愛される理由」とあり、彼は英語、スペイン語に堪能である一方、文中には積極的に言葉や文化を学んだとあります。

 このコラムを執筆した篠崎直也は、サンクトペテルブルク在住経験があり、ゼニトのリーグ優勝を目撃した方なのですが、ロシア語を学びロシア文学を日本語に翻訳してきた作家たちは、現状のウクライナとロシア問題をどう捉えているのか、知りたいと思います。

 オランダの方々もロシアの進軍を快く思う事はないでしょうし、ヒディンクのように引退したとはいえ、ロシア代表監督を務めた人物に対して冷徹な視線を向けているのでしょうか。

 日本国内では既に、母親がロシア人であるという理由で侮蔑的表現で子供がつらい思いをしている、という話が浮上しましたし、ガソリンに代表される物資の値上げ異常に、混沌さは日本国内でも見え隠れしているような状況です。

 ロシアは「進軍している」側ですから、西欧や米国、日本からの送金と物資が滞っていても、空爆により建物が倒壊し医療が切迫している様子はありません。

 これは極論ですが、ロシアリーグが再開されれば、ある意味で

 「ロシアには日常がある」
 「サッカーのある風景」

 が、世論によって圧迫されているロシアの方々の気持ちを癒せるかもしれませんね。

 日本代表の橋本拳人がロストフに移籍する際、このような混沌とした状況下に置かれるとは考えもしなかったでしょうし、彼だけでなくロシアとウクライナに在住する外国籍の方たちは、今どのような判断をすべきでしょうか。

 
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内村航平の引退模様から、レオ・メッシを思い出す

2022-03-13 18:03:35 | 日記
 詰めかけた観客6500人
 登場した選手たちはすべて夏季五輪の経験者

 内村航平の引退試合が行われ、オーロラビジョンで演技を確認しながらファンたちが目撃した光景は、単なる体操選手が退く、という形を超えた代物でした。

 僕はこの光景をどこか大げさとも感じましたが、同時に

 「体操協会としては労いの形がこう完結したのだろう」
 「内村航平への花道とは何か」

 を考え抜いた末の光景だったとも思います。

 本来ならばレオ・メッシもこのような形になるはずだったのですが。

 バロンドール7度の受賞は、全てFCバルセロナでの活躍とは言い切れない、7度目の受賞はコパ・アメリカ優勝を幾分含んでいるはずですが、それでもメッシがクラブと共に歩んできた光景が、バロンドール受賞とトロフィーに現れています。

 ただ、それは既に「過去」の話ですが。

 パリ・サンジェルマンでレオ・メッシらしくないのは、フランス語という側面もあるのでしょうが。

 1.FCバルセロナ時代、働きづめだった疲労が現れてしまった
 2・自分が主役ではないという違和感

 にメッシが焦燥感を感じているためかもしれませんね。

 レアル・マドリードの前に敗れ、UEFAチャンピオンズ・リーグで敗れたパリ・サンジェルマン。

 1997年のボルシア・ドルトムントは初の決勝でユヴェントスという伝統クラブを倒して優勝しましたが、ある意味で彼らの勝利は別物ではないでしょうか。

 より参加クラブが多くなり、クラブ間の収入格差が大きい現在、やはりレアル・マドリードやFCバイエルン・ミュンヘンのような、地道に現在の地位を築き上げたクラブ、それこそが伝統であるとするならば、既にマンチェスター・シティも優勝していると思うのです。

 やはり伝統はそんな簡単に崩れない、巨額投資がトロフィーを確実にはしないと言えそうです。

 2012年チェルシーは初優勝しますが、それは彼らが「2度目」の決勝でしたから。
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レネ・ヴァイラー、遂に鹿島アントラーズに合流

2022-03-13 14:06:59 | 日記
 今季から鹿島アントラーズの指揮官となるレネ・ヴァイラー氏が遂に合流しました。

 これまで鹿島アントラーズはブラジル出身(エドウ、ジョアン・カルロス、トニーニョ・セレーゾなど)の指揮官か、日本人指揮官(大岩剛、相馬直紀など)のいずれかで、20冠を達成してきました。

 ですからレネ・ヴァイラー新政権は、彼がスイスから招かれたという事実以上に、首脳陣が

 「新しい鹿島アントラーズの発足」
 「そのために何が必要か」

 という点を熟慮したと言えます。

 ザーゴ監督を招聘した際も、彼がブラジル生まれでありながら、欧州的発想をかかすことがない、だからこそ鹿島アントラーズに新しい息吹を与えてくれると考えられました。

 しかし結果的には途中解任となり、監督招聘の難しさがあらわとなりましたが。

 ミッシェル・プラティニが現役引退を表明し、ユヴェントスを離れたのは1987年でした。

 その後のユヴェントスは

 イアン・ラッシュ ウエールズ代表
 ロベルト・バッジョ イタリア代表
 アンドレアス・メラー ドイツ代表

 と多くの名手を獲得したものの、7位でシーズンを終えたジジ・マイフレディを即クビにするなど、1995年、マルチェロ・リッピ体制初年度でスクデットを得るまでに、9季の歳月を要しました。

 アントラーズは現状、J1優勝からは6年、AFCチャンピオンズ・リーグ優勝からは4年の月日が経過しており、だからこそ首脳陣は新しい戦術の導入、メルカリとの協力体制など、新しい地盤を築いている最中なのでしょう。

 ただ、アントラーズにはいつの時代でも

 「ジーコが伝えたかった事」

 という基礎項目があり、言い換えれば選手が初心を忘れないことができる、その点では稀有なクラブと言えると思いますね。
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サッカーに敗北はいらない

2022-03-13 13:50:43 | 日記
 ジャマ・エル・ツナ 死人の集う場所

 モロッコには冒頭の格言があるようですね。(小学館文庫 内田洋子著 ボローニャの吐息268ページより)

 モロッコ代表といえばコベントリー・シティに在籍したムスタファ・ハッジと、トテナム・スパーズにリベロとして君臨したナイベトを思い出します。

 モロッコは彼らを擁した1998年ワールドカップに参戦しますが、以後選手個人としてナイベト、ハッジに匹敵する選手は誕生していないように感じますね。

 ある意味でサッカー・スタジアムは「死人(敗者)」がいます。

 11人の選手と指揮官、そして交代選手がいるわけですから「集う」という形にもなり得ます。

 その敗北にしても、2009年ワールドカップ欧州選手権プレイオフ、アイルランド対フランス代表のように、ティエリ・アンリが結果的に認めた「ハンド」で決勝点が生まれる、後味の悪い敗北もあれば、2005年J1昇格プレイオフ、柏レイソルがヴァンフィーレ甲府のバレーに

 「6得点、ダブル。ハットトリック」

 という、こてんぱんにやられるという事例もあります。

 言い換えれば、サッカーだろうが他の競技だろうが、敗北は喫しなくてもよいことだけは間違いありません。

 選手がクラブに貢献して勝ち点3を積み上げ続けること。

 これは勝利ボーナスという金銭面だけの問題ではありません。

 妻帯者であれば、妻に向けられる批判

 「あの妻は何をしているんだ」
 「金使いが荒いし、派手な生活を求めている」
 「睡眠や栄養管理を手助けしていない」

 という、的外れな批判から守ることができますからね。

 ファビオ・カペロやハビエル・クレメンテのように、勝ち点ん3こそがスペクタクルという考えの指揮官が考えたことは、勝てば無意味は批判はできないという観点からだったように思います。

 ただ、その意固地な考えが批判を引き寄せてしまったことも事実なのですが。
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