塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ナイキが下したある決断

2022-03-08 21:28:12 | 日記
 1990年代、ナイキの最新作は常に雑誌のスクープ対象になると同時に、米国で展開するチェーン店「アスリート・フット」「フットロッカー」が注目されます。

 彼らはナイキに限らず「特別注文カラー」、通称「別注」を店舗限定品として販売することで、顧客の取り込みができたんですね。

 最新作のナイキを求めて店舗に出かけるバイヤーや日本人客に対して、従業員が「別注」という日本語を用いて対応したと聞きました。

 かつて大手サッカーチェーンである「B&D」が、イタリアのスパイク「ヴァルスポルト」の販売権を所有していたことも、同様に他のチェーン店手の差別化や顧客を彼らから奪うという観点からだったと思います。

 現在ではプーマやアディダスの限定品を、加茂スポーツが大きく扱うように、数量限定品はいつの時代でも人気ですし、ミズノが復刻したバサラにしてもイグニタスにしても、モレリアのように常に変えるわけではありませんしね。

 ただ、ナイキは自社のEコマースた直営店だけでスニーカー(スパイクは別です)を売る事を決断し、フットロッカーに商品を提供することを停止したと言います。

 それは店舗側が

 サービスの一環として割引チケットを配布する
 見切り品、値下げ品をどんどん生み出す

 という、価格やクーポン券の乱発により、ナイキ側が靴の価値が勝手に落とされている、自社の信用を守るための措置として考えた結果がフットロッカーへの商品提供を中止、という発案なんですね。

 これらの記事はウエブサイトでいくつか確認できますし、今後はサッカー・スパイクもスポーツデポ、ゼビオ・スポーツなどに提供されない可能性があるような気がします。

 プーマやアディダスはナイキと同様の見解を示してはいませんが、それだけ自社の尊厳を守ることが今後、発展のカギになることは間違いないようですよ。
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不義の間柄の選手たちが同じクラブに在籍する事

2022-03-08 21:07:18 | 日記
 1990年代中期、ACミランにはクロアチア代表のズボミニール・ボバンとユーゴスラビア代表(当時の国名)のデヤン・サビチェビッチがともに在籍していました。

 1990年代のユーゴ紛争は単純に語られる出来事ではありませんし、ボローニャ時代富安健洋が世話になったシニサ・ミハイロビッチのように、写真を銃弾で射抜かれたという心苦しい過去を持つ人物さえいますから。

 ただ、両選手が戦争の影響はなかったとは言い切れないでしょうが、互いを尊重し憎しみ合うようなことはなかったという点は、本当によかったと思います。

 例えばマヨルカには日本代表の久保建英と韓国代表のイ・ガンインが在籍していますが、大抵の場合政治的観念から緊張上状態が続くものの、サッカーでは両国の選手が同じクラブに在籍し、共に戦うという事例は多くありますし、両選手もうまくやっているのではないでしょうか。

 それは太平洋戦争が終了してから相当の年月が経過したことや、サムスンやLG電子など韓国企業も日本市場を重要視しているなど、政治的判断は別物という意味もあるでしょうし、韓国代表選手がkリーグから移籍を検討する際は、Jリーグも候補になりますよね。

 ただ、ロシアとウクライナイの関係を考慮しますと、両国代表が同じクラブに在籍した際、それだけでスキャンダルような扱いとなり、代理人やGMに大きな批判が巻き起こるようなきがします。

 アナトリー・ティモシェクはウクライナ代表で144試合の出場経験を持ち、バイエルン・ミュンヘンやゼニト・サンクトペテルブルクに在籍した経験を持ちます。

 つまり、ウクライナ的発想とドイツ的発想、そしてロシア的発想を肌で感じた稀有な形であり、だからこそ「無言」を貫いているように感じます。

 同じウクライナ人同士で非難の応酬が始まるのであれば、それだけでいち早く停戦が求められますが、現状は難しい様子です。
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サッカーが好きだという一言

2022-03-08 20:54:36 | 日記
 「どんな時もどんな時も、僕が僕らしくあるために」
 「好きなものは好きと、言える気持ち抱きしめていたい」

 この歌詞は槇原敬之の代表作「どんなときも」からの抜粋になります。

 今の方はご存じないでしょうが、当時のシングルCDは現在の12インチではなく8インチCDでして、ケースも縦長を用いた独特の代物であり、現在は流通していません。

 サッカー・スパイクでいえばカンガルーレザーとニット素材と同じくらいの隔たりといえます。

 この歌詞を聴くと、サッカーが好きだよと言える2022年が日本にはありますよね。

 1970代や80年代は、サッカー「アニメ」は好きと言えたかもしれませんが、競技としてサッカー「観戦」が好きとは言えなかったと思うんですよ。

 高校選手権や大学リーグなど一定の盛り上がりはあったと思いますが、プロ野球と大相撲の前では明らかに劣勢だったでしょうし、ある意味キリンが日本サッカーを応援する決断を下したことが、どれだけ斬新だったかは、今でも十分伝わりますよね。

 香川真司がボルシア・ドルトムントとの契約終了後

 ベシクタシュ トルコ
 レアル・サラゴサ スペイン
 シントトロイデン ベルギー

 と欧州各国を渡り歩くのも、サッカーが好きだからですよ。

 そして敬愛する三浦知良が50代の今でも懸命に体調を慮り、JFLの鈴鹿で現役を続ける決断をしたことも、香川真司に大きな勇気を与えたと思いますし、それは長谷部誠や吉田麻也という代表主将経験者や30代後半で海外で奮闘する選手たちも、同様ではないでしょうか。

 「どんなときも、どんなときも、迷い探し続ける日々が」
 「答えになること、僕は知っているから」

 選手は毎日思い悩み、怪我で苦しみ出番がないことに愕然とする、それでも好きだからボールを追いかける、それでいいではないか、と思いませんか。

 
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