塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ロシアの芸術作品に触れることについて

2022-03-26 21:28:11 | 日記
 今僕はロシアの作曲家ラスマニノフのCDをかけながら、このブログを書いています。

 ロシアは過去、ゴーゴリ、チェホフ、ナボコフ、そしてドストエフスキーとトルストイという作家生み出してきましたし、ナボコフが残した小説「ロリータ」はその内容から、日本においては「年下女性しか好まない男性」という意味合いで用いられるようになりました。

 画家ですとイリヤ・レーピンとクラムスコイが知られていいます。

 僕はショスタコービチやプロコイエフの作品を所有していませんし、ロシア文学に精通しているわけでもありません。

 ロシア・ワールドカップの前、つまり2018年に「オネーギン」の岩波文庫を買って読んだ程度で、何か作品を購入し読むことが開催国ロシアへの敬意ではないかと考えた為でした。

 ただ、現状を考慮すると既に他界している彼らの作品を購入すること、読むこと、聴くこともどこか躊躇しかねます。

 先日他界した宝田明は太平洋戦争の終結を中国大陸で迎え、現地でロシア兵の横暴にうんざりしており、帰国してからも直にロシアという国(当時はソビエトでしたが)と、彼らが生んだ芸術を評価できない、好むことができないと訴えていました。

 もし日本代表が親善試合の対戦相手としてロシア代表を指名し、彼らが来日したならばそれだけで目の敵になるのでしょう。

 日本にどのくらいウクライナ、ロシアの方々が駐在しているか、正直わかりかねますが日本代表が仮にロシア代表をホームで戦う事を決定したとすれば、やはり意気消沈するでしょうが、選手が進軍を決議したわけではない、この点も事実なんですよね。

 日本代表は過去、米国と欧州から悪者とみなされたユーゴスラビア代表とキリンカップで戦いましたが、実際サッカーと政治は別と考えるべきかどうか、結論は出ないと言えます。
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僕の周囲にワールドカップが好きな人物は一人もいません

2022-03-26 21:07:57 | 日記
 「塚田さん、日本代表がワールドカップ出場を果たしましたね」
 「でもイタリア代表は今回も駄目でした」
 「日本代表は8強に進めるでしょうか」

 家族も勤務先も含めて、僕の周囲でワールドカップ予選と本戦、出場国の考察ができる人間は「ひとり」もいません。

 僕は世界、どの地域でも通じる「常識」は2種類しかないと考えます。

 常識1・英語がわかること
 常識2・FIFAワールドカップに関心があること

 書店では世界中の常識として美術、茶道、ワインにウイスキーとあらゆる分野でエキスパートが著書を出版していますが、すくなくともこれらは為政者によって発達した面もありますし、宗教的価値観によって飲酒はご法度、そして美術が発展した側面があります。

 ですからサッカーは、数ある競技の中でも民主的な部類であると思うのです。

 これまでのワールドカップ優勝国は、ローマン・カソリックの国が多く、次いでプロテスタントが続き仏教、ヒンズー教、イスラム教を信仰する国の優勝はありませんから、宗教的な側面があることは否定はできませんがね。

 FIFAの公用語は英語、ドイツ語、そsちえスペイン語の3言語だったと記憶していますが、それだけ英語を話そうとする意識は、どの国でも不可欠であり大切であることがわかります。

 ちなみにUFEAチャンピオンズ・りーグ・アンセムの歌詞は、英語とフランス語、ドイツ語で成立していますから、聞きとれない面があるのは致し方ありません。

 逆に言えば、フランス語とドイツ語を学んでる方々が聞き取れるならば、それは凄く意義があると思いますよ。

 欧州予選のプレイオフが終わり、32カ国が決定した後の組み合わせ抽選会まで僕らは穏やかな日々になりますが、森保一日本代表監督だけは視察に余念がないわけですが。
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PKには2種類あると思うのです

2022-03-26 20:56:40 | 日記
 イングランド代表は1966年ワールドカップ優勝だけがメジャー・タイトルだ、としばしば揶揄されます。

 それはPK戦の突入した際の弱さによるところも多く、1990年ワールドカップ、1996年欧州選手権はいずれもドイツ代表の前に敗れています。

 1990年の準決勝は、敗退後のポール・ガスコインが浮かべた涙も象徴的でしたが、その一方で8強で対戦したカメルーン代表戦では、ギャリー・リネカーが与えれた2本のPKを見事の決め手勝利を得たというように、PKには2種類あります。

 延長戦でも決着がつかず、便宜的な形となるPK
 試合中に与えられたPK

 リネカーが決めたことは素晴らしいわけですが、一方で伝統国イングランドが初戦でアルゼンチンを破ったとはいえ、新興国のカメルーンに敗れることができないという、彼なりの意地もあったのではないでしょうか。

 そしてイタリア代表です。

 イングランド代表以上にPKで劇的な結末を迎え続けてきた彼らですが、とりわけ1990年代というディケイドにおいて、3回すべてのワールドカップをPK戦の末に敗れ去った、という稀有な例です。

 逆に言えば

 1990年 サルバトーレ・スキラッチ ジャンルカ・ヴィアリ
 1994年 ロベルト・バッジョ ジュゼッペ・シニョーリ
 1998年 アレサンドロ・デル・ピエロ クリスティアン・ヴィエリ

 という優れたセンター・フォワードを擁しながらも、最後に決めきれなかったというべきなのでしょうか。

 ただ、今回のワールドカップ予選は、試合中のPKを「3度」外してしまったジョルジーニョが悔恨しているように、決着をつける形のPKではなく、試合の流れと勝ち点3を得るために必要な勝訴を得るための代物でした。

 つまり、イタリアはこの2種のPKに今後、どう立ち向かうのか、次回の欧州予選でこの出来事が恐怖として選手を縛ることがないか、大きな問題です。
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