塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

書籍「アメトラ」を購入して

2022-03-23 19:43:07 | 日記
 DUブックス(BUはディスクユニオンの頭文字です)から刊行のデイビッド・マークス著「アメトラ」を購入しました。

 なかなか近所では見つけられずにいたのですが、やっと取り扱う書店を見つけて買ったのですが、実は先日お話しした「ジャン・ミッシェル・バスキア」の画集とどちらを先に購入するか迷い、善意アハ画集、今回はアメトラを買う形になりました。

 まだ買ったばかりですのでページをめくっているだけですが、日本のアメカジは米国人が考える服装とは大きく隔たりがあります。

 ブーンやアサヤンが最盛期の頃からこの点は指摘されており、1990年代後半、僕が山梨学院大学在籍の頃

 2インチ程度大きめのブルージーンズ(ヴィンテージやその復刻)を履く
 上に着用するスエットは小さめが良い
 足元はアディダスのカントリーやコンバースのジャックパーセルなど、伝統品が良い

 こんな格好は米国本国では皆目見られず、あくまで

 「日本人が考えるアメリカン・カジュアル」
 「だからこそ日本人の色彩、感覚が表現さされている」

 というわけです。

 つまり「独自に発達した服装」を研究、文献として発表したのがこの作品というわけです。

 日本サッカーもそうですよね。

 日本サッカーリーグの頃からブラジル出身選手たちをお手本にし、時にはドイツ、現在はスペインと欧州各国のエッセンスを取り込みながら、日本代表が、日本人選手が最も適切なサッカーは何かを今でも模索しています。

 ジーコやドラガン・ストイコビッチ、そしてアンドレス・イニエスタなど各国の名手たちが来日し、素晴らしい選手であることを証明した一方、彼らもまた日本サッカーだけでなく日本という国の文化面に大きな敬意を抱くようになりました。

 そしてサッカー・ダイジェストが開幕30周年を特集したように、今季jリーグは30歳となりました。

 模倣、物まねから独自性が生まれることは美術の世界でも同じですが、サッカーもまた日本を手本にするアジア各国が登場するかもしれませんね。
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政治家のばらまきに対して批判がありますが

2022-03-23 19:27:09 | 日記
 現在日本では、自由民主党と公明党の連立政権が政策を担います。

 その公明党からも自由民主党が掲げている、年金式勇者へ5000円を配布するという政策に異論が出ています。

 6月に5000円支給されたならば、7月の選挙に対しての「ばらまき」に違いないという憶測があるためです。

 マスメディアもばらまきだ、5000円はけちくさいなど批判していますが、ばらまきはテレビ局も雑誌も皆しているではありませんか。

 「独占インタビュー」「独自入手」などは、テレビ局は雑誌社が視聴者と読者を取り込むため、つまりこの記事は我々だけが扱っているんですよ、是非どうぞという代物ですが、ばらまきが「賛成票を確実にするための取り囲み」ならば、独占はマスメディアが視聴者を「囲い込んでいる」だけですよ。

 むしろマスメディアは

 「我々も独占記事、独占インタビュー、単独インタビューで皆さんを囲い込んでいることは重々承知している」
 「それを踏まえて、岸田総理にお願いがある」

 というべきでしょう。

 ジョゼップ・グアルディオラがマルセロ・ビエルサを敬愛していることは知られていますが、取材方針も踏襲しています。

 単独インタビューや独占記事のために会見は一切開かない
 その代わり、全体会見を定期的に開き、どんな間抜けな、何回も聞かれてきた問いかけにも最後まで応じる

 という立ち位置です。

 つまし取材申請を受理されたメディアは、平等に会見場で聞くことができる、その内容を記事にするには、独占という名の「無駄」な冠が取れ、記者、ディスクの腕前が問われるわけです。

 指揮官がプロなら記者もプロであれ
 独占記事を追い求めても、腕は上がらないしプロではない
 我々を批判する前に、徹底的に自己批判をしろよ

 痛快ですよね。

 日本のワイドショーやニュース番組のキャスターたちは、選手や指揮官を批判しますが、逆に選手も指揮官も「彼ら」を批判、愚弄しませんよ。

 もし僕が取材する立場なら

 「我々の取材方針、体制、そして報道方法に不満や意見があればいつても応じます」

 と予め伝えますよ。

 報道に至らない点があれば、選手と指揮官が批判する、それは当然でしょうと僕は感じるのです。

 
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職業に貴賎なしと言いますが

2022-03-23 10:24:02 | 日記
 2020年初頭、日本国内で(ダイヤモンド・プリンセス乗船以外)初めて新型コロナウイルスが確認されてから、まもなく2年が経過します。

 当初は感染した方に多くの非難が集中しましたが、2年後の今では感染しない方が不思議なほどで、僕のような片田舎に住んでいると危険は都心部よりも少ない物の、難しい状況であることに変わりはありません。

 Jリーグも入場制限やプロ野球とタッグを組むなど、多くの対策に乗り出してきましたし、今後も観戦はファンの方々の協力なしでは実行ナイト言えます。

 しかし、ルイス・ファンハールが新型コロナウイルスで治療中という報道がでましたが、カタール・ワールドカップ開催中、指揮官が不在という形になった場合はどうなのか、という問題もあります。

 日本では「職業に貴賎なし」という格言がありますが、実際はそうではないでしょう。

 仮にサッカー観戦で感染したら
 仮にプロ野球観戦で感染したら

 という現象には、まだ周囲の人間は寛大な態度だと思いますよ。

 ではもし観戦理由が

 男性の場合、となりに女性がつく飲み屋での過ごし方が問題だったならば
 男性の場合、デリバリーヘルスやソープランドなど、裸の女性と一緒だったならば
 女性の場合、ホストクラブで大酒を飲んでいたならば
 男女問わず、雀荘のような狭い空間での過ごし方が問題視されたならば

 恐らく痛烈な批判が飛び交い、同時にその空間を提供した側にも大きな批判が舞い込むと予想されます。

 書籍ではしばしば「裸になった女性」のノンフィクションが発売、もしくは当事者自体が執筆することもありますが、アルコールやかけ事、裸に近い人間たちが仮に新型コロナウイルスでなくとも大病になれば、どことなく胡散臭いと思われがちではないでしょうか。

 過去はサッカー選手も職業とは認知されていない時期もありましたが、いつか職業に貴賎なし(暴力団員のような法律を無視した存在は別ですが)になると良いですね。

 
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もしレオ・メッシがFCバルセロナに出戻ったならば

2022-03-23 10:08:20 | 日記
 FCバルセロナの指揮官、チャビ・エルナンデスは、ダニ。アウベス同様にレオ・メッシの復帰を歓待すると言われています。

 パリ・サンジェルマンが現在のレオ・メッシをどう捉えているのか定かではありませんが、仮にレオ・メッシとキリアン・エムバッペを同時に失うとすれば。

 金銭面だけで多くの「差」を見せようとしてきたその方法論を、一度解体する必要があると思うかもしれません。

 仮にレオ・メッシがFCバルセロナに復帰したとします。

 その際、再度サラリー・キャップの問題は浮上(彼が在籍時、クラブは年俸で70億円支給していたと聞きます)しないのか。という疑問が浮かびますし、新会長のホアン・ラポルタはチャビ・エルナンデスと同様の考えなのだろうか、とも思います。

 前会長のバルトメウが行った無節操な「レフトウイング補強」は記憶に新しいわけですが、最後はレオ・メッシとの関係はこじれ、疎遠だったとも言いますが、むしろレオ・メッシが復帰するならば、ファンとの「疎遠」かもしれません。

 2020年、彼がFCバルセロナ退団を希望した際、ファンの多くはその理由が、バルトメウの乱獲やクラブの財政逼迫というフロントの問題ではなく、移籍表明を示したレオ・メッシへの不満、怒りの感情の方が大きかったと言います。

 金に問題はないだろう
 バルサの選手だからこそ、バロンドールもチャンピオンズ・リーグもラ・リーガでも優勝できたんだ

 それなのに移籍を表明するとは何事だ、という烈火のような怒りが、ファンに渦巻いた、それは逆に言えば失望以上の感情ではないかと思うのです。

 マンチェスター・ユナイテッドのファンは、ロナウドが控えの役割を受け入れて、NBAでいうシックススマンのようにならないだろうか、そうすれば試合後半で劣勢のさい、大きく状況がへんかするのの、と考えているようですが、レオ・メッシの場合はどうでしょうか。

 ただ両選手には当然「自負」があり、その自負の大きさは桁外れですからね。
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エバートン、監督交代の成果が出ず

2022-03-23 09:53:24 | 日記
 日本ではヴィッセル神戸が、今季のJ1で初となる監督交代を決断しました。

 神戸はイタリアでいえばインテル・ミラノのように、頻繁に監督交代を行うクラブという印象が強いと思いますが、AFCチャンピオンズ・リーグとJ1を両立させるには、新監督の招へいという形が最善と、2022シーズンに限定して言えば感じたのでしょう。

 これまでは成績不振、もしくはファン・リージョのように突然の退団表明という形が多かったですから。

 さてプレミア・リーグでは、エバートンが17位と浮上のきっかけがつかめていません。

 まずはカルロ・アンチェロッティのレアル・マドリード移籍の余波が、エバートン首脳陣が考えるよりも大きかったということでしょうか。

 新監督にはラファ・ベニテスを指名したわけですが、彼は「お隣」の印象が強く、何より

 リバプールは2019年欧州王者、2020年プレミア・リーグ王者である
 一方で我がクラブは近年、トロフィーをは無縁である
 しかもベニテスは、リバプールでUEFAtやんぴオンズ・リーグとFAカップを得ている
 そんな指揮官をどうして許容できるのか

 というエバトニアンの気持ちが昂っていたものです。

 むしろベニテス就任は、コロンビア代表のハメス・ロドリゲスというパスの出し手を失う形となり、同時にベニテスも成績不振のため退団、現在はフランク・ランパード政権となっています。

 ランパードはチェルシーを去って以降、これが初めての監督就任ですが、よく引き受けたと思います。

 エバートンを取り巻く環境は、マージーサイド・ダービーを含めてやや特殊ですし、1980年代はリバプール同様に多くの優勝を勝ちとり、あのギャリー・リネカーが在籍したこともある、有力クラブです。

 そして有力クラブが「有力クラブでした」という過去形の形で表現されつつある今、仮に降格となれば莫大な収入と名声を同時に失わせた指揮官、として記載されてしまいます。

 むしろ首脳陣の方が地位は安泰かもしれませんしね。
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