塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ファザコンとマザコンを対比して

2022-08-03 19:34:59 | 日記
 斎藤薫の代表作「されど服で人生は変わる」

 先日購入した「されど男は愛おしい」とは対に関係になると思いますが、例えば日本代表選手が提供されたアルフレッド・ダンヒルの公式スーツを着用すると、代表選手としての誉が得られると同時に、高揚感と責任感を持つと思うのです。
 
 彼女はマザコンについて言及していますが、これは議論が半分で終わっています。

 マザコンを考慮し批判するならば、同時に女性が願う「ファザコン」にも言及すべきでしょう。

 不思議とマザコンは馬鹿扱い、嫌悪感の対象として認知されている(近年は両親を大切にできない男は、妻を大切にできるわけがないと、思考回路は変化しているとも指摘)一方、男性がファザコンに批判気味かと言えばそうではないですよね。

 それは僕たちがどこかで

 「若い女性と一緒に歩きたい」
 「加藤茶さんのように、年齢の離れた女性と交際して結婚したい」

 と願っているためでしょうか。

 しかし、年齢差があればあるほど生活は窮屈になると思いますし、うまくいかない事例が多いからこそ、加藤茶夫妻の生活ぶりが際立つ形だと思うのです。

 日本は2012年のアンダー20女子ワールドユースのホスト国となり、昨日韓国リーグに移籍を表明した田中陽子に代表される中軸の人気が、一気なり爆発したことがあります。

 これも年下の女性に何かしらの好感と意図を持つ、男性側の要望による代物だったのでしょうか。

 欧州各国は近年、女子のプロリーグ人気が急上昇していますが、さすがにアンダーの世代までが取り込まれているとは聞いたことがありません。

 ただ日本のようにプロ1年目終了であれば、アンダー世代も含めての発展は不可欠でしょうけども。
 
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長野県知事選挙の投票をして

2022-08-03 19:08:56 | 日記
 今週日曜日は、長野県知事選挙がおこなれるのですが、僕は今日投票を済ませてきました。

 スペインではファンである「ソシオ」が、各々投票権を持ちクラブの命運を預ける会長を選挙で選びます。

 例えばレアル・マドリードの会長、フロレンティーノ・ペレス。

 彼は指揮官、選手時代を通じてジネディン・ジダヌを徴用しましたが、それは第一次ペレ政権で勝ち得た2002年のUEFAチャンピオンズ・リーグ優勝の立役者であり、自身の政権基盤を顕著にしてくれたこともあると思います。

 ジダンが指揮官としてそのチャンピオンズ・リーグで3連覇を呼び込む、この点は予想外でしたけども。

 前任者のラモン・カルデロンの評判はさほどではないため、再度ペレスの手腕が注目されたわけですが、FCバルセロナも会長選挙の難しさを露呈しています。

 過去の会長選挙では未来を描く方針よりも

 「ヨハン・クライフが支持しているかどうか」
 「攻撃的にふるまえるサッカーを展開できるか」

 という点ばかりが強調されていたように思います。

 ホアン・ラポルタにしてもサンドロ・ロセイにしても、舵取りが最適だったかどうかは定かではありませんが、バルトメウ時代最悪となる財政悪化は、案外このころから目立っていたのではないでしょうか。

 マラガのように王侯貴族が買収するも、資金援助が続かないくて経営破綻、バレンシアのようにクラブの身売りそのものが批判の対象となるなど、スペインではクラブ運営が並大抵ではありません。

 当然ですがソシオには、各々が強化策の優先順位が異なりますし、もはや下部組織を活用する過去の姿が見られません。

 すでにFCバルセロナの姿は、新しい姿へ鞍替えしていると考えるべきではないでしょうか。
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言葉の裏に潜むこと

2022-08-03 09:22:45 | 日記
 私たちが普段「イスタンブール」と呼ぶ都市名は、トルコ語の表記ですと「イス・ティン・ポリン」になると、イスラム世界に精通する宮田律が語っています。

 つまりガラタサライ・イスタンブールは本来「ガラタサライ・イス・ティン・ポリン」と表記すべきでしょうか。

 ご存じの方も多いと思いますが、イタリア語には日本語における「はひふへほ」の発音が存在しません。

 したがって「ツカダモリヒコ」という僕の名前は、イタリアですと「モリイコ・ツカダ」となるはずで、実に呼びにくくなること請け合いです。

 ペルージャ在籍時から中田秀寿は誌面上で「ヒデ」という表記が多かったわけですが、イタリア語を忠実に伝えたいのであれば「イデ」と表記すべきでしたが、それでは日本の読者に違和感を与え、同時に「表記が誤っている」と思われてしまいます。

 そもそもイスタンブールはそれ以前@コンスタンティノープル」と表記していましたが、これは英語の「コンスタンティノーポー」を日本語に近い形での表記であり、ギリシア語、ラテン語では「コンスタンティノーポリス」になります。

 つまり、英語読みは英国人に配慮し、日本語読みは日本人に配慮しているわけですが、すればするほど話がややこしくなっていくわけです。

 ちなみに日本の苗字で「加賀」がありますが、イタリアでは「大便」を意味すると聞きましたし、イタリア語の5は「チンクエ」と発音しますが、ルーマニアでは「チンチン」となり、日本に留学すると本当に奇妙な体験をするといいます。

 ルーマニア語はイタリア語に近いのでこのような形になるわけですが、サッカーでも実社会でも言葉の裏も見ないといけないなと、最近考え始めています。
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男の嫉妬という概念

2022-08-03 09:05:52 | 日記
 講談社から刊行の斎藤薫著「されど男は愛おしい」

 その中に(104ページから)サリエリとモーツァルトの例を出しながら、男の嫉妬についての言及があるのですが、かつてロナウドはレオ・メッシに嫉妬していたのでしょうか。

 彼らがナイキ、アディダスと契約先が異なったのは選手にとってもブランドにとっても幸いしたと思いますし、仮にどちらかが二人とも顧客に迎え入れたとしても、支払う金額だけでなく「両雄並び立たず」の形に頭を悩ませることになったはずです。

 ロナウドはメッシのバロンドール受賞回数が増加してゆくことにいら立ちを隠せなかったといいますし、僕はメッシは先天的にサッカーに関する何かを宿って誕生したと思います。

 ロナウドが日々の節制と練習を大切にし、同時に髪型や服装などあらゆることを考慮して、「後天的」にロナウドを生み出したこととは、明らかに異なると思っています。

 つまりサリエリはモーツァルトを強烈に意識し、彼の奏でる演奏のすばらしさを、聴衆以上に理解できた一方でモーツァルトは、サリエリが自分をゆがんだ視線で見ているとは考えもしなかった、飄々として生きていたともありますが、実際はどうでしょうか。

 つまりメッシはロナウドを必要以上に意識はしなかったが、ロナウドはそうではなかった、という仮説は成立しそうですよね。

 ただ現在のロナウドはそのような自己中心的な形ではなく、むしろレオ・メッシとの関係性が柔和になりつつあります。

 服飾の世界でフェンディとヴェルサーチの共同制作「フェンダーチェ」が大きな話題ですが、仮にナイキとアディダスがチャリティでタッグを組み、ロナウドとメッシが同じスパイクを着用したならば。

 それは一瞬にいsて全世界を虜にするはずです。
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フィリップ・トルシエの背広姿について

2022-08-03 08:45:29 | 日記
 アルフレッドダンヒルが、2022年日本代表公式スーツを発表したわけですが、彼らとの関係性は23年前までさかのぼることがわかりました。

 つまり1999年から契約が続いているわけですが、その際「腑に落ちない」ことがあります。

 よく指摘されることが、2002年韓日ワールドカップにおける、フィリップ・トルシエのスーツ姿です。

 16強で敗れることになるトルコ代表との一戦、トルシエは予選ラウンド3試合で着用した紺の背広ではばく、突然グレイがかった色彩の背広を着用し、周囲に違和感を与えます。

 違和感は三都主アレサンドロをいきなり先発で起用する、という先発選手の変更と布陣を3-5-2(3-5-1-1に近い形)にするなど、様々な面で見られたわけですが、トルシエのたたずまいはそれ以上に目立っていました。

 通訳を務めたフローラン・ダバディも全く別のスーツを着用していましたし、ダンヒルとの契約は既に履行されてはいたものの、指揮官と津役はダンヒルから支給されたスーツではなく、個人で購入した品を着用していた。

 のでしょうか。

 通常、公式スーツの色彩と型番は1種類しかないはずですから、トルシエのように「着替える」ことは事実上できないはずです。

 逆に言いますと、本当に個人で購入した背広と着用し、ベンチ入りしても契約違反にならないという日本サッカー協会tダンヒルの契約であるならば、それは思い切った試みdと、今改めて思うのです。

 ダンヒルは時流に合わせ、昨年度からスーツのほかにカジュアルウエアも提供し、好評を博しています。

 日本代表の公式スポンサーとしての歩みは、ダンヒルに新しい価値観をもたらしたとすれば、それは嬉しい出来事と言えますね。
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