塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

神戸ファンが監督に指名したい人物と言えば

2022-08-11 18:39:51 | 日記
 ヴァイド・ハリルホジッチがまもなくモロッコ代表監督の職を解かれると聞きました。

 (東京スポーツがウエブ版で掲載)

 この記事について敏感に反応したのがヴィッセル神戸のファンであり、三木谷オーナーにヴァイド・ハリルホジッチを獲得すべきではないでしょうか、と提言している様子です。

 僕は今季の神戸の試合を映像で見たことがありませんので、どうしてここまで勝ち点3が選らないのか、理由はわかりかねます。

 ただトーマス・ヴェルマーレンの引退がここまで成績低迷につながったとみるのも不可解ですし、38歳になるアンドレス・イニエスタの起用法、先発なのかそれともここぞ、という時にまで温存しておくのか。

 など、理由は複雑に絡み合っているとは思いますが。

 ただ、既に吉田体制も含めれば指揮官は4名にもなり、選手たちが練習内容から先発選手の選出、交代枠の使い方などで混乱することのほうが難しい状況ではないでしょうか。

 荒療治、という言葉を考慮すれば、日本代表、モロッコ代表、コートジボワール代表にパリ・サンジェルマン、そしてディナモ・ザグレブと素晴らしい経験値を持つヴァイド・ハリルホジッチは素晴らしい存在かもしれません。

 ただ効果は途中からではなく、むしろシーズンしょっぱなから始めた方が「荒療治」はふさわしい結果をもたらせるのではないでしょうか。

 ちなみに1993年、リーグで最低の成績に終始した浦和レッドダイヤモンズが、1994年横山謙三新監督を迎えたのも、練習内容をハードにして荒療治をさせるためでした。

 神戸がこれ以上監督を変えること、僕はむしろ逆効果のように思えますが、現場とフロントの考えはどうでしょうかね。
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タイアップという販売方法

2022-08-11 18:24:12 | 日記
 ハンティング・ワールドの鞄には、一部ではありますがメルセデス・ベンツとのダブルネームがあります。

 アディダスとプーマの場合ですとそれはポルシェとなり、数年前にはミズノがランボルギーニとのダブルネームでスニーカー(「クラシックではなく踵にミズノ・ウエーブを採用)を発表しました。

 このように企業の枠組みを超えて製品を共同開発することは、もう専任デザイナーや1社だけでは斬新な発想、消費者が

 「これ、すごいよね」
 「買ってみて本当に使い買ってがよいのよ」

 という形にならないためでしょうか。

 日本のテレビドラマも専用に脚本家が執筆した代物よりも、既に漫画や小説として発表されているものを取り入れることが多くなりました。

 今はむしろ「脚本オリジナル」というほうに注意書きがされる方が多く、むしろ昔はこちらの方が自然だったはずですがね。

 サッカー・スパイクも同様でナイキ、プーマなど人気ブランドは

 「〇〇パック」
 「新色登場」

 という形で従来の商品に新鮮さを生み出そうとしています。

 それはサッカー・スパイクがいつの時代も「競技用」であり、日用品をしての側面がなく限りある顧客を逃したくないと考えているためではないでしょうか。

 ちなみに海外限定販売が基本である、ミズノのモレリア「オリガミ」が過去、日本市場でも発売かとささやかれたことがありますが、結局発売には至っていません。

 仮にミズノの限らずブランド側が

 「海外限定品、ついに日本でも正規販売へ」
 「回外限定色、入荷しました」

 という形で提案すれば、それは消費喚起になりますが、ファンに行き届かないという批判を生む覚悟も必要でしょうね。
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ココ・シャネルの言葉を学んで

2022-08-11 17:58:17 | 日記
 ココ・シャネルの発言を集めた「シャネル自分を語る」の32ページに

 「クチュリエに来る女性たちに理性的な人はいない」
 「分別のある女性もいない。なぜならみんな一着のドレスのために、魂を売り飛ばしてもいいと思っている」

 という表現があります。
 
 ではスタジアムに集うサッカー好きに、分別はあるのでしょうか。

 韓日ワールドカップの際、毎日のように「フーリガン」という言葉が用いられましたがが、彼らのような暴力行為に及ぶファンはいなかったと思いますが、暴れるファン、野次が聴くに堪えないファンは分別がないですね。

 欧州ではが現在でも暴れる存在として見られるファンがいることも確かですし、クラブ首脳陣も頭をいためているに違いありません。

 またゴミをまき散らすファンもボランティアの負担を重くしていますし、試合中に座席から立つファンも同様かもしれません。

 僕たち観客は観客席から選手の背番号や立ち姿で選手を判別できますが、案外選手たちもぼくたちの様子がよくわかっていると思いますよ。

 ですから試合のさなかで(どうしてもという理由があっても)、選手が座席から離れる、売店で購入した食べ物をたべるだけで、自分たちのプレイを一向に感染する気配がないのでは、きっと残念に思うはうですしホームならば猶のことにあります。

 世界では日本のように老人や女性の観客が安心して楽しめるかと言えば、残念ながらそうでないことも多く、日本の環境は非常に秀でているとされます。

 ですから僕たちは選手の後押しのために、声を出すことのほかに自分を客観視することが不可欠ではないでしょうか。

 サッカー観戦にとって空腹と手洗いが常に付きまとうことも確かですが。

 
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