塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

息子から見た母への思い

2020-04-29 19:42:30 | 日記
 1996年NBAドラフト、最下位で全体1巡目1位で指名する権利を得たのはフィラデルフィアでした。

 彼らはジョージタウン大学のポイントガード、アレン・アイバーソンを指名、彼はその年見事に新人王に輝きます。

 契約の都合上、アイバーソンは大学時代ナイキのエアー・ジョーダン11を履きますが、プロ入り以後は一貫してリーボックを履き続き、愛用したクエスチョンは今でも復刻される人気の品です。

 興味深いのは、彼の母であるアン・アイバーソンが代理人であるデイビッド。フォークに

 「どうしてアンタはフィラとの契約を進めなかったのよ」
 「フィラの方が契約金を高く提示したじゃない」

 と噛みついたというエピソードです。

 結果からすれば、アイバーソンとリーボックは最高の間柄になりましたが、米国ではアイバーソンのような名手でも、日本で見られるマザコンの気が多いことは案外知られていません。

 日本の女性はとにかく、マザコンという言葉を嫌悪しますが、米国男性の多くはマザコンと指摘されており、その考えは改めた方が得策ですよ。

 それは米国社会、特に黒人と移民は離婚率が高く、母の稼ぎが彼らを成長させているという側面があるためですね。

 ちなみにイタリアも同様で

 「マンマの手料理は最高さ」

 と高額が報酬を得る選手たちですら、堂々と語りますよ。

 移籍でイタリア国内を転居するようになっても、母のパスタソース、トマトソースが最高と考えるのは、郷土愛が深いイタリアらしいとも言えます。

 指揮官として独立しているインザーギ兄弟も、雑誌カルチョ2002の中で母の手料理について言及していたことがあったと記憶しています。

 それでも日本の女性は、日本の男性が母の褒めると嫌悪感を抱き、欧米の男性が母について話すと、母思いと感じる傾向は今後も続くのでしょうね。
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改めて思う男女の身体

2020-04-29 19:32:22 | 日記
 ビジネス誌「プレジデント」は、最新号である5月15日号から、厭う詩織のコラムを掲載しています。

 最初のコラムは81ページに掲載されており
 
 「NHKの子供向け番組 おかあさんといっしょ、ドレミファ・どーなっつ!という着ぐるみの人形劇があった」
 「今振り返ると、何でおかあさんといっしょなのだろう」
 「番組名からは子育てをするのは母親だというメッセージが受け取れる」

 という指摘があるのです。

 テーマは別の形にあるのですが、母の日が近い現在、多くの店舗ではヨガマットや美味しい食材など、健康や食事の提案だけでなく

 「エプロンや寝間着」

 という衣類の提案もしています。

 伊藤さんの言葉を借りれば、料理はいつでも母、祖母、女のすることのように見えるのかもしれませんし、確かに古い価値観を再構築しているように見えます。

 筋力、骨格が異なるために、男女では当然体力や持久力、敏捷性が異なります。

 僕は以前にもお話したように、女性がサッカーをする、なでしこリーグを軸に多くの女性選手が活躍できる土壌は必要だと思いますが、男女で同様の報酬を与えることには反対です。

 例えば全盛期のミア・ハムは本当に素晴らしい選手でした。

 しかし、その彼女をもってしても、ロナウドやメッシに及ばないのは彼女の実力の問題ではなく、身体のつくりが男女で異なるためですが、この点を考慮するとプレイに大きく絵以上することは避けられません。

 しかし、なでしこがプロ化し女性が企業の補助を必要としない前例を作るのであれば、一気に日本社会全体に良い意味で浸透してゆくに違いありません。

 ちなみに僕は大工仕事と力仕事は大嫌いですが、包丁を持つ、アイロンがけをすることは大好きですよ。
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サッカー監督に見る頑固者

2020-04-28 19:57:34 | 日記
 昭和世代はきっとこの言葉を、どこかで聞いたことがあると思います。

 「地震、雷、火事、親父」

 それだけ昭和時代の父親像というのは、威厳、実直、無口などに代表される、恐れられるものだったのでしょう。

 しかし、今の時代は年齢に関係なく男性が料理や掃除をする時代に変貌していますから、今の若い方にとっては全く馴染みの無い言葉に違いありません。

 加茂周氏が代表監督を務めていたころは、まだこの「親父」という雰囲気が残っていたように思います。

 わかりやすい言葉でいえば「父性」、これが加茂さんから醸し出されており、その魅力にブラジル代表のオスカルも日本に移籍する決断を下したのではないでしょうか。

 JSLからJリーグ創世記、日産と読売、マリノスとヴェルディの対戦は大きな収益が見込まれ、日産の土台を築いたのが加茂さんでしたしね。

 親父を融通の利かない頑固者という見方をすれば、欧州サッカーにも親父は確認できます。

 チェコ人のズネスク・ゼマンがそうです。

 1・彼はどのクラブでも4-3-3の布陣しか採用しない
 2・その攻撃性で、宿敵での間柄であるローマ、ラツイオの両ファンから大きな支持を得る
 3・フォッジャ時代には、二人のイゴール、シャリモフとコリバノフを開花させた

 また90年代後半には、ユヴェントスでドーピングが日常化していると告発し、イタリア最大のクラブに喧嘩を売ったこともあり、その度量がファンの信頼を得た形となりました。

 他にも常にバック3で戦うガスペリーニとマッツアーリも同様でしょう。

 南米ならば映像解析を軸に、個別取材は一切行わず、定例会見の際にどれだけ時間がかかっても対応する、という方針で有名なマルセロ・ビエルサがいます。

 マルセイユ時代、ファンが彼を熱狂的に迎え入れたことは記憶に新しいわけですが、対峙する選手たちはいささか疲れているかもしれませんね。
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もし僕がアンドレア・アニエッリの立場ならば

2020-04-28 18:57:47 | 日記
 宿敵であるインテルがアンブロ、そしてナイキをテクニカル・スポンサーがある意味安定しています。

 ミランはロットからアディダス、アディダスからプーマへと変更したきたわけですが、アディダスから振られプーマに変更した際も、契約金はアディダスよりも若干下回ると指摘されました。

 かつての栄光を知るティフォージは、これだけで落胆したでしょうね。

 1999年ミランはクラブ創立100周年の記念すべき年で、アディダスが手掛けた100周年モデルは発売時から大きな反響を得たほどデザインが秀逸であり、往時をしる関係者は

 「まさかアディダスからそっぽを向かれるほど、低迷するとは」

 と苦い気持ちでしょうね。

 ユヴェントスもロット、ナイキ、アディダスと2000年代から現在に至るまでスポンサーが変更となりましたが、むしろアディダスとの契約は見直され、提示額が増加されました。

 アンドレア・アニエッリがロナウドを獲得したのは、見果てぬ夢である

 「チャンピオンズ・リーグ優勝」

 を手に入れるためですが、その為にはミラン、インテル、ラツイオにローマ、そしてナポリと2000年代初頭のように、国内に歯ごたえのある対戦相手がいる必要もあるでしょう。

 ラツイオはシモーネ・インザーギ監督の提唱する3-5-1-1が話題ですが、ガスペリーニの3-4-3も同様です。

 アタランタがチャンピオンズ・リーグで戦うことは実に素晴らしいことです。

 しかし不躾な言い方をすれば

 ミランのだらしなさ
 ナポリの監督交代劇

 など、本来ならばユヴェントスと激しい戦いをするであろうクラブの状況が悪い、と言う見解もできます。

 ローマもそうですが近視眼的な補強は、やはりファンに喜ばれますが、長期の視野で補強も必要でしょうね。
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ミランはどうしてここまで財政が傾いたのか

2020-04-28 18:49:11 | 日記
 2000年代初頭まで、ミランは誰もが認めるスーパーメガクラブでした。

 それは分厚い選手層、多くの優勝トロフィーに代表される輝かしい戦績であり、ミランというクラブに渦巻く誇りでした。

 当時のミランにはマウロ・タソッティ、アレッサンドロ・コスタクルタにパオロ・マルディーニという、クラブの歴史とアイディンティティを知る選手の影響が色濃かった影響もあります。

 また、アリゴ・サッキがフランコ・バレージを軸に取り組んだ

 バック4のゾーン・ディフェンスとオフサイドトラップ
 2ラインの動きで相手に空間を与えない

 俗にいうゾーン・プレスの先駆けでもありましたしね。

 ミランに対抗出来るクラブと言えば

 プレミア ユナイテッド
 ブンデスリーガ バイエルン
 リーガ バルサとレアル

 くらいで、パリ・サンジェルマン、セビージャにシティなど、近年その急成長が認められているクラブの意義は、あって無かったような代物です。

 ミランの財政がどうしてここまで傾いたのか、その内情はその2000年代中期にあるのでしょう。

 アディダスやオペルからのスポンサー料
 チャンピオンズ・リーグでの勝利ボーナス

 を換算しても、名手を雇用し続けるには不足していたのでしょうか。

 よく、2009年のカカ売却が大きな影響を与えたと指摘されますが、カカの売却は既に前年、シティへの移籍へという未遂がありました。

 それを覗くと2007年、シェバをチェルシーに売却した時点で、ミランの現状、つまり

 「終わりの始まり」

 が生じたように思います。

 今季もスソとピョンテクという、若きスペイン代表とポーランド代表を手ばしましたが、果たして来季ドンナルンマは残っているでしょうか。

 彼はライオラが代理人であり、イブラの在籍が効果を発揮するかもしれません。
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