昨日に引き続き聖母マリア教会の次に訪問したエフェソス古代遺跡についてお伝えします。
◆ エフェソス古代遺跡
ということで、10時10分頃聖母マリアの家を後にしてエフェソス古代遺跡に向かいました。
ところで、このページでは、訪問した町の名前を勝手に「エフェソス」といってますが、正式には「セルチュク((SELCUK)」という人口25万人の町のようです。
エフェソス古代遺跡があまりにも有名なものですから、町の名前も同じだと勘違いしたようです。
町の見どころとして、遺跡以外に聖母マリア教会、エフェソス考古学博物館、聖ヨハネ教会、アルテミス神殿跡、7人の眠り男の洞窟があるそうです。
▲ 入口付近(上のアゴラ、ヴァリウスの浴場跡)
<Mugio>
10時20分過ぎにはエフェソス古代遺跡に到着したから、聖母マリアの家からは「近い!」という感じだね。
<Mugiko>
私たちは、エフェソス古代遺跡の南口から入場して、緩い坂道の両側に広がる古代遺跡を見学しながら、北入口まで歩くコースになっているようね。
<Mugio>
南入口付近で撮影したビデオの写真がボケてしまって、入場口の赤い建物や「上のエゴラ」付近の様子が分からなくなってしまったよ!
<南入口>

<「上のエゴラ」付近>

<Mugiko>
でも、何とか雰囲気は伝わりそうだから良かったわ。
ここから緩い坂道の両側に広がる遺跡を見学しながら、北口まで歩いて行くということね。
<遺跡見学のスタート>

<遺跡の右側の遠景>

<Mugio>
通路の両側に広がる遺跡の数々が綺麗に整備されていて、昔の街がこのようになっていたのか疑問だけれども、観光客が見学しやすいように整備した!ということかな?
<Mugiko>
などといってますが、「とにかく素晴らしい遺跡だ!」と絶賛していたのは、どこのどなたでしょうか?
ところで、団体客は南から、個人的にバスなどで訪問する客は北口から見学することになっているようね。
私たちは、ツアー客だから南口からで、山側に見える遺跡(遺跡の右側の遠景)は、トンネルようなものが見る「ヴァリウスの浴場」ということかしら?
<Mugio>
そうかも知れないが、両側に広がる遺跡群に圧倒されて、何が何だか分からなかったな!
<整然と並ぶ遺跡の柱>

<美しく並んでいる!>

<通路の両側にズラリと!>

<整備しすぎて世界遺産を逃した?>

<Mugiko>
それにしても、見やすいように綺麗に整備されているわね!
でも、これが原因で世界遺産に登録されなかったという説もあるみたいね。
<Mugio>
そうかね?世界遺産ではないかも知れないが、この遺跡は世界最大級と言っても良いくらいの古代遺跡だと聞いたよ。
何でも、紀元前2000年頃からすでに、アナトリアの地母神キベレの神殿を持つ集落があったということだよ。そんな想像もつかない昔に文明があった!ということに驚いちゃうよ。
<Mugiko>
そうよね。でも、そのすごさを説明している「地球の歩き方」などを読んでも、歴史が古すぎるし、また、多くの栄枯盛衰があったようで理解しがたい!というのが正直なところだわ。
<Mugio>
紀元前4世紀のアレキサンドロス大王による東方遠征でギリシャ風の文化(ヘレニズム文化)が広がったとか、紀元前2世紀に共和国ローマの支配下に入ったとか、紀元前1世紀の帝政ローマの基礎を築いた「ユリアス・カイサル(シーザー)」が暗殺された後権力を握った「マルクス・アントニウス」と愛人関係になった女王「クレオパトラ」が逢瀬を重ねたのもエフェソスであるなどという話だと思うけれど、よく分からないね。
<Mugiko>
その後もエフェソスは、古代ローマ帝国の地中海交易の中心としてローマ、アレキサンドリア(エジプト)とともに世界3大都市と「いわれるほど繁栄したというから凄いわね。
<Mugio>
世界史を勉強しなければ分からないけれど、ローマ帝国といえば、私たちも名前ぐらいは知っている「シーザー」や、シーザーを暗殺した「ブルータス」、悪名高き「ネロ皇帝」などもエフェソスを訪れているそうだね。
<Mugiko>
そうなの?自分の無知に恥じ入るばかりだわ。
<Mugio>
ところで、肝心な遺跡のことだけれど、<遺跡見学のスタート>という題名をつけた写真の遺跡は、土台部分を残すのみとなっているドミティアヌス神殿(11代ローマ皇帝を祀った神殿)のようだね。
その隣には「ポリオの泉」が、そして反対側には<入口のエゴラ付近>という題名をつけた写真にうつっている遺跡は、当時世界最大の浴場だった「ヴァリウスの浴場跡」のようだ。
<Mugiko>
ところが、この神殿は、「ドミティアヌス神殿」ではないみたいよ。
この遺跡は、パジリカという建築様式のひとつで、中央の身廊の2辺ないしはそれ以上の辺を側廊によって取り囲むもの(ウキペディア)だと思うわ。
{パジリカは、身廊と側廊は列柱によって分けられる」というから2本の柱は、その列柱じゃないかしら?
それに、ドミティアヌス神殿は、入口付近よりもっと先にあるみたいだわ。
<本日の記事はこれにて終了です。次回は、エフェソス古代遺跡2として遺跡の続きをお伝えします。それではこれにて!>
◆ エフェソス古代遺跡
ということで、10時10分頃聖母マリアの家を後にしてエフェソス古代遺跡に向かいました。
ところで、このページでは、訪問した町の名前を勝手に「エフェソス」といってますが、正式には「セルチュク((SELCUK)」という人口25万人の町のようです。
エフェソス古代遺跡があまりにも有名なものですから、町の名前も同じだと勘違いしたようです。
町の見どころとして、遺跡以外に聖母マリア教会、エフェソス考古学博物館、聖ヨハネ教会、アルテミス神殿跡、7人の眠り男の洞窟があるそうです。
▲ 入口付近(上のアゴラ、ヴァリウスの浴場跡)
<Mugio>
10時20分過ぎにはエフェソス古代遺跡に到着したから、聖母マリアの家からは「近い!」という感じだね。
<Mugiko>
私たちは、エフェソス古代遺跡の南口から入場して、緩い坂道の両側に広がる古代遺跡を見学しながら、北入口まで歩くコースになっているようね。
<Mugio>
南入口付近で撮影したビデオの写真がボケてしまって、入場口の赤い建物や「上のエゴラ」付近の様子が分からなくなってしまったよ!
<南入口>

<「上のエゴラ」付近>

<Mugiko>
でも、何とか雰囲気は伝わりそうだから良かったわ。
ここから緩い坂道の両側に広がる遺跡を見学しながら、北口まで歩いて行くということね。
<遺跡見学のスタート>

<遺跡の右側の遠景>

<Mugio>
通路の両側に広がる遺跡の数々が綺麗に整備されていて、昔の街がこのようになっていたのか疑問だけれども、観光客が見学しやすいように整備した!ということかな?
<Mugiko>
などといってますが、「とにかく素晴らしい遺跡だ!」と絶賛していたのは、どこのどなたでしょうか?
ところで、団体客は南から、個人的にバスなどで訪問する客は北口から見学することになっているようね。
私たちは、ツアー客だから南口からで、山側に見える遺跡(遺跡の右側の遠景)は、トンネルようなものが見る「ヴァリウスの浴場」ということかしら?
<Mugio>
そうかも知れないが、両側に広がる遺跡群に圧倒されて、何が何だか分からなかったな!
<整然と並ぶ遺跡の柱>

<美しく並んでいる!>

<通路の両側にズラリと!>

<整備しすぎて世界遺産を逃した?>

<Mugiko>
それにしても、見やすいように綺麗に整備されているわね!
でも、これが原因で世界遺産に登録されなかったという説もあるみたいね。
<Mugio>
そうかね?世界遺産ではないかも知れないが、この遺跡は世界最大級と言っても良いくらいの古代遺跡だと聞いたよ。
何でも、紀元前2000年頃からすでに、アナトリアの地母神キベレの神殿を持つ集落があったということだよ。そんな想像もつかない昔に文明があった!ということに驚いちゃうよ。
<Mugiko>
そうよね。でも、そのすごさを説明している「地球の歩き方」などを読んでも、歴史が古すぎるし、また、多くの栄枯盛衰があったようで理解しがたい!というのが正直なところだわ。
<Mugio>
紀元前4世紀のアレキサンドロス大王による東方遠征でギリシャ風の文化(ヘレニズム文化)が広がったとか、紀元前2世紀に共和国ローマの支配下に入ったとか、紀元前1世紀の帝政ローマの基礎を築いた「ユリアス・カイサル(シーザー)」が暗殺された後権力を握った「マルクス・アントニウス」と愛人関係になった女王「クレオパトラ」が逢瀬を重ねたのもエフェソスであるなどという話だと思うけれど、よく分からないね。
<Mugiko>
その後もエフェソスは、古代ローマ帝国の地中海交易の中心としてローマ、アレキサンドリア(エジプト)とともに世界3大都市と「いわれるほど繁栄したというから凄いわね。
<Mugio>
世界史を勉強しなければ分からないけれど、ローマ帝国といえば、私たちも名前ぐらいは知っている「シーザー」や、シーザーを暗殺した「ブルータス」、悪名高き「ネロ皇帝」などもエフェソスを訪れているそうだね。
<Mugiko>
そうなの?自分の無知に恥じ入るばかりだわ。
<Mugio>
ところで、肝心な遺跡のことだけれど、<遺跡見学のスタート>という題名をつけた写真の遺跡は、土台部分を残すのみとなっているドミティアヌス神殿(11代ローマ皇帝を祀った神殿)のようだね。
その隣には「ポリオの泉」が、そして反対側には<入口のエゴラ付近>という題名をつけた写真にうつっている遺跡は、当時世界最大の浴場だった「ヴァリウスの浴場跡」のようだ。
<Mugiko>
ところが、この神殿は、「ドミティアヌス神殿」ではないみたいよ。
この遺跡は、パジリカという建築様式のひとつで、中央の身廊の2辺ないしはそれ以上の辺を側廊によって取り囲むもの(ウキペディア)だと思うわ。
{パジリカは、身廊と側廊は列柱によって分けられる」というから2本の柱は、その列柱じゃないかしら?
それに、ドミティアヌス神殿は、入口付近よりもっと先にあるみたいだわ。
<本日の記事はこれにて終了です。次回は、エフェソス古代遺跡2として遺跡の続きをお伝えします。それではこれにて!>