私の部屋の壁に「北に夢を追ったサムライ」ー村橋久成の残響 というポスターがまだ貼られています。20015年の日にちが入っていますから随分長いこと私を見つめていてくれたのです。
たまたま、渋沢栄一が大河ドラマとして始まったばかりで、主人公渋沢栄一とかかわるのでとりあげてかい書きます。
手稲在住の田中和夫先生の小説「残響」の主人公で、サッポロビールを誕生させた方なのです。島津藩の藩士で戊辰戦争にも参加し、五稜郭の戦いでは、五稜郭の幕臣を降伏に至らせる働きもしていました。
新政府が発足し北海道開拓使が設立され、北海道開拓が始まると開拓使の一員として場広い分野で業績を上げたのですが、取りわけ札幌ビールとの関係は深いものがあります。東京にビール工場を立ち上げるという話を聞き、ビールは札幌が立地条件に適うと考え黒田清隆に進言をして苦労の末サッポロビールの製造に成功したのです。北海道にはこれという企業がまだ出来ていない中でサッポロビール工場が誕生したのです。
ところが、完成後間もなく村橋は姿を消します。その数年後神戸で行路病者としてなくなるのです。北海道に残した村橋の足跡は屯田兵を始め多くの農産物の生産にも重要な役割を果たしていて、高橋知事が就任の時、残響の村は詩に負けないように頑張るといったことで改めて見直されたのでした。札幌ビール工場の歴史に当然乗るべき村橋の名前は名かったのです。村橋が行方不明になって間もなくビール工場は民間へ払い下げられたのです。そのあたりから渋沢がかかわったようなのです。村橋は此のビール会社を北海道発展の起点にしたかったのでしょうが、維新政府による民間払い下げは我慢のできないものがあったのでしよう。頭を剃り出家するくらいのことでは我慢のできない虚しさが行路病者へと村橋を追いやったのでしょう。/div>