北海道と違い、歴史の重さが感じられ、その足跡を追うのも楽しい。
群馬が自動車クラウンの町であり戦時中のゼロ戦の製作地だったのが、自動車の町になったことはそれとして、新田義貞の出身地だったことを知らなかった。
太田駅北口広場に稲村ケ崎での刀を投じた姿が像として飾られていて、太田の歴史の中心に義貞は位置づけられることがわかる。この義貞とかかわりの深い足利尊氏がすぐ隣町であることが
二人を並べて調べるきっかけとなる。関係して足利学校も調べることとにつなる。
太田での新田の足あとは深く大きく、徳川とのつながりもあることがわかって驚かされたりする。
足利尊氏とは親戚で同じ源氏の血を受けているのですね。
関連するいろいろなことを調べたくなる。結構歩いてみました。いろいろ歩くうちに多方面でのつながりが見えてきて楽しい。昨年ふとしたことで訪ねた大光院(呑竜寺)が徳川家康に
よって創建されたと聞いて、そのつながりがわからなかったのが今年はわかりました。いろいろ歴史を知る楽しさをこの歳で味合わせていただいています。