手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

教える身・・・教わる身

2016-11-30 18:34:00 | 無題
  学校教育だけでなく、教える、学ぶという関係は幅広く存在する。

 それぞれ教わる、学ぶということを継続してきている。学校でも学校教育の指導要領に沿った学問以外にいろいろことを学んできている。又社会人としても実にいろいろなことを学び、そして教える立場になる人も多い。

 その流れの中で、どんな学び方をしたかは、その人による。私自身を振り返ってみて私は情けない自分を見つめている。まともに勉強したらまた違った人生があったかもしれないと思ったりする。

 それでも何とか大学を卒業し、高校の教師として38年間教える立場で過ごしてきた。しかし、良い先生といわれることもなく、自分でも自信をもって良い先生だったと言えないで終わったのは、大学で怠けていた結果だと自覚している。

 旧制の師範学校本科一年に合格して、二年目、ようやく好きな科目に集中して勉強ができると意気込み、やる気でいた。そんな中、新制大学が発足し4年制の一類に合格してしまった。すると又嫌な一般教養科目の勉強もやらなければならなくなり、ようやく芽生えていた学問への意気込みがしぼんでしまった。それが躓きだった。多分旧制であと二年勉強していたら違った世界になっていたと思う。

 それはそれとして、定年退職をしてからの人生は平均寿命の延びが示す通り長いものになっている。私は退職後もう26年を経過した。まだ何年か残されていると思う。此の退職後の人生をどう過ごすかがとても重要な課題になってきている。

 私はたまたま現役の時に詩吟の教室を持つこととなり、現在も詩吟の先生で過ごしている。今、私の詩吟の生徒さんは皆様後期高齢者といってよい。生涯学習ということが言われる。これは、人間一生学ばなければならないということではあるけれど、現役を退いた方たちに実りのある人生を送ってもらうために用意される学習の機会をさすようだ。 
 だからいろいろな形で学習の場が提供されてきている。私のやっている詩吟の教室も生涯学習の一環といってよいと思う。本来「吟道」という高尚な修練の場であるはずなのですが、今は生徒のほとんどが余生を楽しむための場となっているのです。

 私は今は教える身でいます。教える身として、教えられる人のことを考えるのはむつかしいことです。生涯学習の立場から考えるとまず楽しく学んでもらうことを先行しなければなりません。単に面白おかしいということではありません。又、生徒さんたちの中でもいろいろな方がいるのです。その人たちの欲求をくみ取ってさりげなく導くことも大切です。どうかすると技術論とか精神論を先行させることがあります。

 私の教室の一つ、老人福祉センターの公開講座詩吟は、もう25年教えてきているはずですが、ここの生徒さんは資格を取ることはありません。それでも教室を待ちわびてきているという方が多い。私は生涯学習という立場から生徒を見つめ指導に当たっています。

 今伝統芸能関係の教室はどこも会員不足で嘆いている。私もその一人です。今の高齢者時代に即応した教え方を追及してゆくことがとても大切なことだと思います。
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