「あんたろま」この漢字をこのように読み下すのは難しい。多分アイヌ語かこのような漢字に改められたのだと思う。私が小学1年から大学2年まで過ごした上川村字東雲は、汽車に乗るのに2Kほど歩いて隣町愛別村の安足間停車場まで行かなければななかった。安足間の市街と東雲は500メートルくらい線路で隔たっていて、子供同士は仲良くなかった。子供同志が「安足間のやせがえる!!!」 「東雲の黒どんこ!!!}などと怒鳴りあったりしたことを覚えている。その安足間から汽車通を何年かした。上川の人なのだけれど安足間が通学の起点だから、安足間の人みたいに懐かしい。この安足間の駅の改札口の欄間に額に入った詩が飾られている。
安足間 百田宗治
あんたろまから こいという
縁側から 正面に大雪山の雪渓が
見えるという。
石狩の上流が あふれて、
泥やなぎの 根を洗っているのを
身に恋という。
山女を 食いに こい という。
寺もある。ゆいびんきょくもる。
望みなら、手ごろの住居も建ててやるという。
薪むにも 不自由は させぬという。
埋もれに こよという。
死にに こよという。
百田宗治は東京空襲で自宅を焼失し、更科源蔵を頼って北海道に来て、安足間の駅裏に在る寿薬寺住職白川了照さん方にも逗留して、有志と文学サークルのような活動をしばらくしておられたのだそうです。
その会に私の妹亮子が上川小学校の教員をしながら仲間入りしいたのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます