東照宮について93歳の今日まで、日光にあり、徳川家康公をが祭られ、左甚五郎作の三猿像が 飾られているくらいの理解しかなかった。それが昨年92歳で
この群馬県太田市へ転居してきて、いろいろ地域の歴史に関することに興味を持ち始めたころ、太田にも東照宮がある、それは日光の東照宮が完成するまでの間
仮の宮として建てられていた東照宮だったとい う話を聞き、これは一度見ておきたいと思った。
今年になって、地図で調べていたら、世良田東照宮が見つかった。そのそばに新田荘歴史資料館があることになっている。これを見つけて、てっきり太田にある
もう一つの東照宮だと思い、そばに新田の資料館があるのは素晴らしい、どうしても行ってみなくちゃと、娘に話して連れて行ってもらった。
行って驚き、今までの知識を改めることになった。世良田につき駐車場から入場したらいきなり新田義貞の銅像が出迎えてくれて、すぐ後ろに素晴らしい資料館が
あるではありませんか。これまで、新田と徳川が結びついていませんでした。この資料館を見学するなかで、徳川家康は新田の系図につながっていていることを知りました。
徳川は新田の血を引いているのです。ここにある世良田東照宮は。徳川三代将軍家光公が日光東照宮の改修時に出た奥の院の材料を移築してここに東照宮を建立されたのだということ
さらに、この新田資料館、世良田東照宮は長楽寺というお寺の敷地の中に建てられていることがわかりました。長楽寺は新田、徳川の菩提寺ということになります。
徳川も新田もこの地、世良田から出発しているのですね。
そこらまで知識を改めて帰宅して間もなく前橋に東照宮があるという新聞の記事をみました。ここで、東照宮がいくつもあるようだとわかり調べてみましたら、徳川家康は
後水尾天皇より東照大権現という神号を追贈されていて、徳川家康は東照宮の本尊の神様で、東照宮は、宮・・神社なのです。そんなことがあり、東照宮というお寺は。徳川
御三家をはじめ、多くの武将が地元に東照宮を建てているのだということがわかりました。
昨年大光院が徳川家康の建立だということの意味が分かりました。この群馬県太田市は、歴史上新田と徳川に大きくつながっていることを知りました。
新田荘資料館 世良田東照宮
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