手稲は最高!

手稲在住30年、手稲って本当にいいなって常々思っています。時に触れ、折に付け思いついた事を、取り留めなく書いてみます。

手稲第二教場 詩吟   

2016-11-18 19:06:57 | 詩吟関係
  今日は福祉の会員の三浦さんが欠席。

 福祉の稽古「青葉の笛」をやりました。先に源義経をやったのでその関連でこれを選びました。青葉の笛の主人公の名前直ぐに答えてくれました。この後「平敦盛」をやってあげます。吟は手稲第二教場の会員も一緒にやってもらいました。そのあと会員の通常稽古、14時10分までかかりました。

 休憩時間に来年度から教室は碌峭会として一本化すること、手稲もまとめて月曜を稽古日にすること、それに伴う碌峭会規約について原案を見ていただき、了解してもらいました。

 休憩後年忘れ演芸大会の 合吟の稽古をしました。女性 合吟は、高橋さんに先導してもらって、福祉の方にも応援してもらって稽古をしました。途中14時45分ころ、手稲第一教場の堤さんが、いらっしゃって、手術後の経過を報告してくれました。胃癌の手術、腹鏡式手術8時間かかったそうです。手術は成功で術後二日間はICUに入ったけれどそのあととても順調で二週間入院をして先週の金曜日に退院したのだそうです。今月は休みますが来月から詩吟に出てきてくれるということでした。本当の初期の癌だったようで全く転移の心配もなく、抗がん剤の使用も必要がないのだそうです。よかった。

 話は変わりますが、この頃毎日喪中の葉書が届く。中に残念な方の知らせもある。美唄東高校の同僚で私より年は若いけれどとてもいい友達だった荒瀬先生がお亡くなりになっていた。また、最初に赴任した沼田高校の教え子で、農業をつづけながら俳句をやっていた小西義光君の喪中もあった。年賀状150枚購入したのだけれど余るかもしれない。
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今年もいろいろあったが一番はハワイ旅行だった

2016-11-17 19:04:24 | 身辺雑記
  そろそろ本年度十大ニュースなどが話題になる時期になってきた。

 私の今年の最大のニュースはハワイへの一週間旅行でした。下の娘が一度私をハワイに連れてゆきたいとかねてから言ってくれていたのだけれど、私はハワイにほとんど興味を感じていなくて、誘われても断り続けていたのです。しかし、ついに今年連れてゆかれることになった。

 私の海外旅行は中国へ二度行ったことがあるだけです。週5日間、詩吟の教室を持っているので、教室を休みたくないということが一つ。それと飛行機で一晩過ごすことへの不安があった。特に、中国旅行の時、上海から重慶までの飛行機2時間での辛さが身に染みていた。それは中国ならではの話だと思うけれど、客室の気圧が正常でなく、頭が痛くなり、たった2時間ほどのフライトがものすごく辛く感じた経験が、もしもそんな状況になったらどうしようという不安につながっていた。それと、一人の座席で寝る自信がない、そんなことで逡巡していたのです。

 しかし、ついに予定が組まれ、出かけてきました。結果、いい思い出を遺すことができました。千歳からの直行便、夜中三人席の空いているところで横なることができたけれど興奮していて、眠ることができなかった。でも次の日の行程に支障はなかった。又帰りは朝ハワイを出発して夕方千歳に着く形だったので、帰宅してすぐ寝ることができたからまったく問題がなかった。

 暑いのだろうと思っていたが、汗などかかない快適な気候なのだ。南国の珍しい果物も食べることができ、主な観光地はほとんど回ることが出来た。

 話のタネにまではならないけれど、私の人生の1ページに刻まれることになったのです。
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老いることは、失うこと

2016-11-15 18:57:41 | 随想
 当たり前のことだけれど、今までに何と多くのことを失ってきたことか。

 いろいろなことを覚え、それを生かして自分の人生を作り上げていた。それがいつの間にか次々に失われ(できなく)ているのです。

 囲碁は免許は取らなかったが初段の力はあった。麻雀は恐れられるくらいだった。野球もやった。テニスもやった。卓球もやった。バスケットはクラブの顧問にもなった。スキーは一級の資格をもらっていた。そのすべてができなくなったりやる気も無くなっている。

 読書も今や疲れるので読まない。頭の中に蓄積されていたものも、なかなか思い出せなくなっている。友達もめっきり少なくなっている。

 わずかに残っているのが詩吟だけだ。でも詩吟のお弟子さんに恵まれ、教える喜びと、そこを通しての世間との付き合いがまだあって、今の体力では十分のものになっている。

 次々若い時に蓄えたものがそぎ落とされてゆく。頭の中のものが一番残るのでしょうが、それとて使わなければ失われてゆく。その先は・・・・。

 今の私は、詩吟を通して頭の回転も何とかしている。それも新しいものを求める度合いを強めたりすることがとても大切だと思っている。限定されるけれど詩吟につながる書物を読む努力はしている。今、十八史略を読みかけている。

 体力を維持するための柔軟体操のようなものも、暇を見て、少しづつやってみている。でも限界があります。抵抗しても仕方がないかもしれないけれど、それをしなければ先がない。仕方なしだけれど、自分なりの老いへの抵抗です。
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第17回 札幌西支部吟詠剣詩舞の集い  参加してきました 今日は手稲第一教場

2016-11-14 20:10:01 | 詩吟関係
 昨日、西支部の吟詠剣詩舞の集いでした。KKRホテル札幌で10時から開催されました。プログラム番号104番までで余裕のある設定でした。

 私の会からは 独吟に絞って14名ほど参加しました。みんなよく頑張ってくれて嬉しかった。

 懇親会は17時予定でしたが、16時30分からの開催となり、久しぶりに楽しく飲ませていただきました。主にワインをいただきました。

 帰り口岩さんと車でまっすぐ帰宅しました。早い時間だったので、帰宅後野球とフギュアを見ることができました。

 今日は手稲第一教場の詩吟です。センター関係の方は5名でした。視聴覚室でのびのびと吟じてもらいました。

 新年度から手稲2教場を一本化し、他らしい規約にたがっ進むことを了承してもらいました。
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平和教場 詩吟  見学者が来ていました

2016-11-12 18:38:29 | 詩吟関係
  暖かな日になりました。道端の雪、西区に入ったら結構な量でした。手稲から見ると問題にならないくらい多かった。あれはブルトーザーが入って寄せて行った雪だと思います。 


 塚本さんがお友達を見学に連れていらっしゃっていた。明日はいよいよ札幌西支部吟詠剣詩舞の集いです。会員も全員出席でした。

 前半を終わったところで、来年度から会を一本化するということを了承してもらい、規約を了解してもらいました。又、手稲は一つにまとめることになることも話しておきました。

 最後、大会の稽古、年忘れの合吟もやりたかったのですが、明日の独吟二回づつ稽古してもらい終わりました。

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昨日は侍ジャパンを見ていてプログ書けなかった

2016-11-11 19:35:45 | 詩吟関係
  手稲第二教場の詩吟です。教室は3F料理教室。センターの3人は全員か来ていました。柿山さんが休み、あさっての西支部の集いも欠席になるということでした。息子さんが先日入院されたのですが、その関係と思います。

 ゼンター関係の方には源義経をやりました。 独吟は会員にもやってもらいました。そのあと会員の通常稽古、それが終わってちょうど2時、5分ほど休憩して後半。

 後半の最初に西支部の集いの 独吟の稽古を3人にやらせ、そのあとセンターの三人に会員三人のやった吟の中から好きなものを選んで吟じてもらいました。

 続いて年忘れの 合吟の稽古、センターの3人がいて、 合吟の良い稽古ができました。</font>

  今野球とサッカーを見ていたのですが野球もリードしていて、サッカーもオマーンとの練習試合、圧勝のようでした。これから野球を最後まで見ます。
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健幸クラブ 詩吟

2016-11-09 19:49:17 | 詩吟関係
 5名全員が出席でした。

 今日は初めに先週やった「洞庭を望む 孟浩然」をやり、次に「兵児の歌」をやりました。

 最初に全員で素読して、この詩は何を歌っているのか質問してみました。一番年寄りの方が、維新のことでないですかといった。

 維新のいわば締めくくりとなった西南戦争へ向かった鹿児島の兵士の気概が歌われています。ここで西南戦争の持つ歴史的意味合いについて、いわば西南戦争が維新のしめくくりになり、新政府の政治が軌道に乗ることになったことに触れて話してみました。

 そんなことで時間がかかり、この詩は一回だけの吟で終わらせました。

 最後[山居 釈元光」をやって終わりました。

 15時過ぎに村崎クリニックに薬をもらいに行きましたら、インフルエンザーの予防接種を勧められやってきました。毎年接種しているのですが流行っているときにかからないでも季節外れのころにひどい風邪をひくのが例年なのです。この冬は回避したいものです。
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11月8日  火曜日

2016-11-08 20:16:54 | 身辺雑記
  火曜日だけれど、福祉センターが休みになっているので、3月までは火曜日も休みです。

 10時に病院の予約が入っているので出掛けてきました。帰ってきて11時過ぎから家内を買い物に連れてゆく。二か所での買物を終わって帰宅したら13時でした。

 昼食をしたらどこへも出る気が起きずテレビをぼんやり見ながら一日過ごしました。

 この頃テレビをゆっくり見ることがない。見るのは「真田丸」とニュース、スポーツくらいです。バラエティはほとんど見ないし、タレントについてもあまり関心があません。

 今のテレビはBSなどでも見れますので、丹念に探せば面白い番組を見ることもできるのでしょうが、居間のテレビは家内に占領されていて、二階で見ることになるのですが自分の部屋とは別の部屋に在りますので、そちらに行くのが面倒で見ようとしません。

 テレビも見ない、本も読まない。運動はとっくにできなくなっている。お酒を飲みに出歩くことは全くなくなっています。詩吟だけ一生懸命にやっていてもとても視野の狭い人間になってきている感じです。このブログだけは何とか頑張っていますが、何のこともありません。

 アメリカの大統領選挙が始まっているはすだけれど一寸気にかかります。
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手稲第一教場 詩吟

2016-11-07 19:11:35 | 詩吟関係
  福祉センターの会員が来ますので会場も大きな部屋を使えるようになった。今日は久しぶりに第5会議室。

 センター関係は5名でした。昨日の雪が解けて凍って歩道がとても歩きにくくなっていました。転ぶ危険が伴いますから休んだ人がいるのでしょう。

 センターとは違って、とても楽しそうです。会員の方も思わぬ仲間が増えて練習も張りがあるようです。

 碌峭会の組織を一本化する方向で考えてきていましたが、今週には決めなければなないことが分かった。4月の会場申し込みが迫っているのです。金曜日の手稲第二教場で皆様の意見を聞いてまとめたいと思います。

 碌峭会は現在三教場に分かれていますが、一本化し、手稲は一つにするということです。規約も作ってあります。これも図らなければなりません。

 北詩連に加入した時は4教場に分けていたのでした。それが今一つにまとめなければならなくなったのです。会員の減少、新会員が見つからない。詩吟というとても素晴らしい芸能がやせ細ってきています。

 昭和の時代は一寸大きな職場には詩吟のクラブがありました。特に国鉄や道庁職員の中にたくさんのサークルがありました。私が教場を立ち上げたころは、国鉄OBの方が随分いました。

 昭和の時代にはまだ詩吟が多くの方に認知されていたのだと思います。それがバブルがはじけたころから様変わりして、詩吟は片隅に追いやられるようになったのだと思います。

 手稲文化協会でいろいろな活動をして来ました。そんな中で民謡のサークルの方から「高齢化が進んで会員もいなくなった」という言葉を聞いたとき、高齢化で会員が少なくなると言うのはおかしいと思った。新しい高齢者がどんどん増えているのです。実は在籍している会員が高齢化したということで、新しい会員が入ってこないだけでなく、今までの会員が高齢になってという話だったのです。そのころはまだ私の詩吟はそれほど苦しんでいませんでした。しかし間もなく、気が付きました。新しく高齢者の仲間入りをした人たちは詩吟に接してきていなかったのです。対照的にカラオケがブームになってきました。

 手稲文化協会に私がかかわった初めのころはカラオケは2団体だったのが今は9団体にふえ、3月に開催するカラオケフェスティバルは区民ホールが超満員となります。

 今や趣味の音楽はカラオケで、民謡も詩吟もおいてきぼりになっている。残念だけどそれか現実だ。ここにも遠い昭和がある。

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今日の雪  根雪になるかも・・・

2016-11-06 20:08:45 | 身辺雑記
  昨日のブログで、この雪は根雪にならないだろうと書いた。今朝起きてみると真冬みたいな雪が積もっていた。

 10時ころ玄関前だけ除雪しようと出てみました。15センチくらい積もっている。とても重たくて全部片付ける力がありません。ショベル二列ほど車道まで道をつけました。

 ついでにロードヒーティングの試運転をしてみました。大丈夫のようです。まだ使うことにはならないでしょう。夕方までにショベルで捨てた後の舗装面がかなり広がっていた。週間天気予報では、今秋10度くらいに上がる日もあるような予報です。家の前の花畑の雪は残るでしょうが道路は多分一度解けるのじゃないかと思います。

 何気なく見ていたテレビで、長崎の出島の話が報道されていた。シーボルトが日本から持ち帰ったものが展示されていた。特に驚いたことは太平洋戦争の講和会議の時、オランダから長崎の出島を維新当時のように再建してほしいといわれ日本政府がそれを受け入れて、再建に当たった。そしてシーボルトのいた時の街並み、シーボルトの住んでいた家を当時そのままに再現したのだという。街並みから、一軒一軒の建築も当時のままのものに作り上げているのだそうです。シーボルトは当時の家の実物の模型を作らせて持ち帰っていて、それが手本になって再現されているのだといいます。こんな話を聞いて、一度出島に行ってみたい思いが出てきますが、実現はできないでしょう。
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