いきなり、「うぐっ」ときて、口をこじ開けるようにぱっと飛び出してきた。
そして、白っぽい体をくにゅくにゅとくねらせ、教室の床を這いずり回っている。
「こんにちは、回虫君」。
クラスメイトの多くが、回虫やサナダムシといった〝虫持ち〟だったから
気味悪がりもせず、ワイワイ言って取り囲み、むしろ面白がっていた。
だが、この寄生虫を捕まえ、どこかへ捨ててこようとする
勇気のある者は誰もいない。
仕方なく、学級委員だったかが担任の女先生を呼びに走った。
のたうち回る回虫を見た先生、それこそおっかなびっくり
僕らが見ても明らかにへっぴり腰で、皆が「先生、早く」とはやし立てた。
先生、イラっとしたに違いなく、箒の扱いも荒っぽく
回虫を塵取りに掃き入れ、廊下にドタドタとけたたましい足音を響かせたのだった。
担任の先生が女性だったことを思い出したから
これは終戦から4、5年経った小学3年生か4年生の時の話である。
なぜ、〝虫持ち〟の子が多かったのか。理由ははっきりしている。
この当時、まだ化学肥料はさほど普及しておらず
農家はもっぱら人の糞尿を堆肥にして使った。
その中には寄生虫の卵が潜んでいる。
肥溜めで十分に熟成させると、それらの卵は死滅するのだそうだが
それが不十分だったら生き残り、今度はキャベツや白菜の葉っぱの間に隠れ潜むことになる。
もちろん調理する時にはきれいに洗い流す。だが、100%というわけにはいかない。
しぶとく野菜にしがみついている奴がいて、それら生き残った卵が
人の口から体内へと侵入し、本来は人様の栄養となるべきものを横取りして
すくすくと成虫へと育っていくのだ。
たまに外界の空気が吸いたくなるのか、こちらが思いもしない時に上から下から
ひょいと飛び出してくるのである。
クラスメイトの多くが、そんな経験をしているものだから
回虫がいきなり飛び出してきても大して驚きもしないのだ。
ただ、先生たちにすると、笑い話で済ませるわけにもいかず
子どもたちに定期的に虫下しを飲ませるなどして〝寄生虫一掃作戦〟を展開した。
やがて化学肥料が普及し出したので、回虫君を見かけることは少なくなっていった。

その頃はまた、寄生虫だけではなく服の縫い目には
シラミが列をなして隠れていたし
髪の毛を指ですくと、シラミとその卵がぽろぽろとこぼれ落ちてきた。
それで生徒が一列に並び、次々に頭から白いDDTを振りかけられたものだ。
そんな時代だった。
妻との間には、『3秒ルール』なるものがある。
決して他人様にお薦めするものでなく、あくまで夫婦2人だけに通用するルールだ。
年を取ると、体のあちこちに不都合が出てくる。
「膝が痛い」「腰が痛い」などというのは、〝年寄り病〟に認定されているに等しく
また口、喉周りにも何だかだと機能不全が起きてくる。

食事中にポロポロとこぼす。
あるいは菓子なんかを食べると、小さく噛み砕いたものが
いつまでも喉にまとわりつき、時に咳を連発させることがある。
餅を喉に詰まらせる、これに対しては、主に年末年始に注意警報が出る。
誤嚥性肺炎というのも年寄りにひどく偏った病気で、高齢者の死因の上位に座る。
妻と2人の食卓。箸でつまんで口に入れようとしたご飯が、ぽろりと床に落ちる。
すかさず妻が言う。
「3秒ルールよ」。
急いで、床に落ちた一塊のご飯を拾い、何のためらいもなく口の中に放り込む。
妻の判定は「セーフ」。何のことはない。
「床にこぼしても、3秒以内であれば何の害もないから、拾って食べてよし」
そういうルールなのだ。
何せ、〝寄生虫の卵付き野菜〟を食べて育ち、生き残ってきた世代である。
これしき、何ということはない。