一人暮らしの友人がいる。
彼は一昨年、奥方に先立たれ、また残念なことに子宝にも
恵まれなかったため、今は一人で暮らしている後期高齢者である。
新型コロナウィルス禍の最中。いささか気にかかり電話してみた。
(大分県宇佐市・千財農園のフジ 2017年撮影)
「それで、異常なくやっているのだろうね」
「おかげさまで。まあ、何とか」
「たまには陽を浴びに外に出かけたりしている?」
「なかなかね。生きていくために不可欠な食料の買い出しに出るくらいかな」
「あらら。そりゃ、いかんな」
「それも出来るだけ長居せず、短時間で済ませることにしている。コロナが怖いからな。
外の空気を思う存分吸っているとは、とても言えないだろうね。
そのせいか息苦しくなる時がある」
「特に俺たち年寄りは外出を控えないと危ないだろうからね。
外出自粛要請には素直に従わざるを得ない。
それはそうなのだけど、これは結構きつい」
「そういうことだ。これ、いつまで続くかな。もてるかな。
なんで、こんな年齢まで生きたのだろうと思うことさえある」
「おい、おい。そんなに気弱になるものじゃないよ」
「もともと俺は独り身だから、声を出して話したり、
逆に相手の声を聞いたりといった、そんなことがない世界にいることになる。
まあ、沈黙の世界だな。そこにもってきて、新型コロナウィルスによる外出自粛だろ。
社会から隔離されたように家の中にじっと閉じこもっているわけだよ。
そんな状況の中に長く身を置くと、徐々に心が崩壊していくような……。本当に辛い。
コロナウィルスはそんな人間の、おそらくいちばん痛い部分を攻撃し始めた。
銃で殺し合う戦争より、はるかに厄介な難敵じゃないかと思えてくるね。
コロナをちょっと甘く見ていたかもしれない」
「同感だな。特に俺たち年寄りは、ほとんどが会社を定年退職
しているわけだから、それだけでも社会との関わりが希薄になっている。
そこに加えて家に閉じこめられると、接する相手はますます少なくなるわけだ」
「会話をする、社会と少しでもつながる。それによって、なにがしかの情感も生まれて
くるのだろうが、それがなくなると生きているという実感さえ薄れるな。
人と話をしたり、あるいは少しでも社会につながっているといった、
そんなことが如何に大事なことか、改めて実感させられているよ。
だからね、こうやって電話で話せるのは本当に嬉しいんだ。
生の声を聞き、こちらも声を出して話すことが出来る。
大げさかもしれないが、ああ生きているんだなという気がするね」
「そうだよな。メールではこうはいかない。特に俺たち爺さんはね」
「だから今日は、本当にありがたい気持ちだな。礼を言うよ」
「こっちだって……。これからも、ちょぃちょい電話するよ」
「頼むよ。もちろん、俺の方からもかけるようにする」
「互いにコロナに負けないようにしよう」
「ああ、そうだな。コロナが終息し、以前みたいに街のちょっと洒落た
喫茶店でコーヒーでも飲みながら、ワイワイやってみたいものだ」
彼との電話を終えた後、ふと思い出した。
もう一人、一人暮らしの友人がいた。このとこ
ろ彼の消息が途絶えている。別状なければよいが……。
電話してみるか。