介護から 逃れて深夜の 磯に釣る 大魚よ我を 海に引き込め
77歳の男性が詠んだ歌だ。
この人には47歳になる息子がいた。
その子は統合失調症で、懸命に介護を続けてきたのだが、年を重ねるにつれ
手に余るようになったのだろう、ついには病院に委ねざるを得なくなった。
そんな病を得た我が子を不憫に思い、
それなのに「介護から逃れた」自分を激しく責め、
「海に引き込め」とまで慟哭するこの歌は、
傍からはとうてい入り込めない悲しみに満ちている。
この作は入院させて2週間後に詠んだものだという。
平成が終わり令和に移る時、NHKが
「平成の31年間、日本人は何を笑い、涙し、怒ってきたのか」を課題に、
視聴者から寄せられた短歌のうち、選りすぐりの作品を紹介する
「平成万葉集」という番組を制作・放送した。
見たいと思ってチャンネルを合わせたわけでなく、
電源を入れたら、たまたまこの番組だったというのに過ぎなかった。
だが、先の一首が詠み上げられると、
たちまち涙がこぼれ落ちるほどに引き込まれてしまったのだった。
世には笑い、喜びと同じほどに、心ちぎれるような切なさ、悲しさが隠されている。
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「8050問題」というものがある。
先の歌を詠んだ人は切ない病の息子だったが、
50歳前後、もう中年と言える人が引きこもるケースが多くなっているという。
子が50歳前後だと親は80歳にもなろうかという年齢に違いない。
そんな身体的にも、経済的にも厳しくなった親が
50歳前後にもなるわが子の面倒をみなければいけないのだ。
そこから、さまざまな悲劇が生まれる。
少し前になるが、あまりにショッキングだったので鮮明な記憶となっている。
元農林水産省事務次官の父親が、引きこもりがちで家庭内暴力が
日常的になっていた44歳の長男を刺殺する事件が起きた。
暴力を振るう息子が、さらなる事件を起こすのを恐れた父の
悲しい防衛策だった。
また、ついには精根尽き果てたかのように、親子が無理心中を選択するという
ケースも新聞の片隅に載ることがある。
親は問題を抱える子ゆえに余計に不憫との思いは強いはずで、
そんな親心に対する不憫さも募る。
どうすべきなのか、分からない。
「8050問題」の深刻さであろう。