Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

慟哭

2020年04月13日 06時29分37秒 | エッセイ
  介護から 逃れて深夜の 磯に釣る 大魚よ我を 海に引き込め

77歳の男性が詠んだ歌だ。 
この人には47歳になる息子がいた。
その子は統合失調症で、懸命に介護を続けてきたのだが、年を重ねるにつれ
手に余るようになったのだろう、ついには病院に委ねざるを得なくなった。

   そんな病を得た我が子を不憫に思い、
   それなのに「介護から逃れた」自分を激しく責め、
   「海に引き込め」とまで慟哭するこの歌は、
   傍からはとうてい入り込めない悲しみに満ちている。
   この作は入院させて2週間後に詠んだものだという。 

平成が終わり令和に移る時、NHKが
「平成の31年間、日本人は何を笑い、涙し、怒ってきたのか」を課題に、
視聴者から寄せられた短歌のうち、選りすぐりの作品を紹介する
「平成万葉集」という番組を制作・放送した。
見たいと思ってチャンネルを合わせたわけでなく、
電源を入れたら、たまたまこの番組だったというのに過ぎなかった。
だが、先の一首が詠み上げられると、
たちまち涙がこぼれ落ちるほどに引き込まれてしまったのだった。
世には笑い、喜びと同じほどに、心ちぎれるような切なさ、悲しさが隠されている。
            
   「8050問題」というものがある。
   先の歌を詠んだ人は切ない病の息子だったが、
   50歳前後、もう中年と言える人が引きこもるケースが多くなっているという。
   子が50歳前後だと親は80歳にもなろうかという年齢に違いない。
   そんな身体的にも、経済的にも厳しくなった親が
   50歳前後にもなるわが子の面倒をみなければいけないのだ。
   そこから、さまざまな悲劇が生まれる。
   少し前になるが、あまりにショッキングだったので鮮明な記憶となっている。
   元農林水産省事務次官の父親が、引きこもりがちで家庭内暴力が
   日常的になっていた44歳の長男を刺殺する事件が起きた。
   暴力を振るう息子が、さらなる事件を起こすのを恐れた父の
   悲しい防衛策だった。

また、ついには精根尽き果てたかのように、親子が無理心中を選択するという
ケースも新聞の片隅に載ることがある。
親は問題を抱える子ゆえに余計に不憫との思いは強いはずで、
そんな親心に対する不憫さも募る。
どうすべきなのか、分からない。
「8050問題」の深刻さであろう。