Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

ドクター

2020年04月11日 06時20分45秒 | エッセイ
診察券が8枚ある。
内科、胃腸内視鏡・内科、整形外科、泌尿器科、歯科、
それに総合病院のものが3枚だ。
飲んでいる薬も5種類。
それだけ体のあちこちが傷んでいるということになる。

周りを見回しても腰・膝痛に悩まされている人たちがたくさんいる。
「年寄り病ですたい」と、長年の〝勤続疲労〟がもたらす必然を半ば笑ってはいるが、
「あ~年は取りたくないものだ」と長嘆息するばかりだ。

   当然、診察券の分だけ、いろんな医師たちの診察を受けているわけだが、
   「あ~、この先生でよかった」と思える方はそう多くはない。
   医師との相性、それは医師に対する信頼感と置き換えるべきだが、
   これが非常に大事であることは言うまでもない。
   患者は伝えられる病状に少なからずショックを受ける。それは間違いない。
   その時、医師は患者にどう対してくれるのか。
   それによって患者の気持ちは右に左にと大きく揺れる。
   医師たちは確かに、患者の痛みを和らげ、さらには命さえ守ってくれる。
   それ故なのか、やけに上から目線で偉そうな態度の医師が多い。
   病状も用意された文書を読み上げるかのように淡々と、
   何ともぶっきらぼうな言い方で告げる。
   患者の痛みに寄り添ってくれているとは、とても思えない。
   もう少し、言葉を交わしながら心を和らげたいと思うのが患者だ。
   なのに、それはあっさりと切り捨てられ、「はい、次」とばかりに
   そさくさと診察室を追い出されたのでは患者は救われない。
   信頼感を持ちようがない。
              
20年来のかかりつけの女医さんがいる。
がんを早期発見することができたのも、この先生のお陰だし、
何といっても20年もの長年、健康状態をすべて把握してくれている
という安心、信頼感がある。
だから、少しでも不調なところがあれば、
病状をうるさいほど尋ね、女医さんもこれに丁寧に答えてくれる。

   もう1人、心から信頼し、頼りにしている医師がいる。
   これまで3度のがんを治療してくれた泌尿器科の先生がそうだ。
   この医師を紹介してくれたのも、実はかかりつけの女医さんだった。
   以前は別の泌尿器科に通っていたのだが、ここの医師には患者に対する
   何の温かみも、いたわりも感じることが出来なかった。
   「はい、がんですね。いつ入院しますか。
   看護師と相談して早急に決めてください。では……」こんな調子であり、
   「がん」と聞いただけで動転しているこちらは、
   頭の中を真っ白にしたまま診察室を出るしかなかった。

何がどうだという理屈はない。
とにかく医師と患者が、遠慮することなく会話出来ることが大事なのだ。
「患者の話なんか聞く必要はない」と言わんばかりの態度では
患者は寄りつけず、信頼感も生まれてこない。
患者が聞きたいことに丁寧に答えてくれる医師であってくれればよいのだ。
そこに温かみ、いたわりを感じ、快癒を信じることが出来る。
そんな医師には「先生、よろしくお願いします」と素直に頭を下げられる。
実は、4度目の治療を5月末に行うことが決まったが、
再発を確定する診察も格別の不安を感じなかった。
「この先生に任せておけば大丈夫」
そんな思いが、患者の気持ちを支える。