Toshiが行く

日記や趣味、エッセイなどで描く日々

返信

2020年04月25日 06時02分16秒 | 日記
Aさん、Оさん、Kさん──AさんとОさんは80歳、
Kさんは76歳だから、就任時期に多少のズレはあるが、
お三方とも同じ会社の副社長、
さらに関連会社の社長を務められた方々だ。
もちろん現在は退任されているが、今もなお親交いただいており、
たまに食事をご一緒したりしている。

だが、新型コロナウィルスに伴う緊急事態宣言中。
ここしばらく、お会いすることも出来ずにいる。
仕方がないので、それぞれにガラ携メールで近況をお尋ねした。

日本舞踊から小唄、さらにはピアノの弾き語りで
シャンソンやポップスまで歌われる芸達者のAさん。
実は3月末に、ご一緒にライブハウスのステージに立つ予定だった。
スタジオでの練習も何度かご一緒し、その日に備えていたのだが……。
残念。コロナによりライブは中止になってしまった。
次の機会を待っている。
そのAさんからの返信。
「ご機嫌伺いありがとうございます。
どうも長期戦になりそうですね。
自宅で元気に歌っていきますか😊」
ええ、声張り上げて歌いましょう。
                                                              
次にОさん。この方も日本舞踊を、過去形で申し訳ないがやられていた。
歌舞伎役者も出演する舞台に立たれたこともあるし、
いろんな機会に見事な舞を披露されたこともある。
だが、これまた無念。年齢相応に腰、肩などを痛め現在はお休み中だ。
Оさんからは折り返しの電話だった。
「お元気そうで何よりです。
私も家に引きこもっていまして、
私が会長をさせていただいている会の会合も
文書をやり取りして済ませています。
いずれにしましても、コロナがこれほど広がるとは
思いもしませんでしたね。
ちょっと甘く見ていました。
ともかく今日はありがとう。
こうやってお話しできると、
何だか気持ちがほんわりと落ち着きますよ」
どうやら、外出を自粛するだけでなく、社会とのつながりも
希薄になっているようだ。
それはこちらもご同様。ちょこちょこ電話しますね。

最後にKさん。この方は尺八だ。演奏会にも出演されている。
また写真撮影を趣味とされ、あちこち出かけられているようだ。
共に夫婦連れで写真撮影を兼ね
冬の美ケ原(長野県)を旅行したこともある。
こう見ると、いずれも一芸をお持ちのお三方である。
ただ会社においてはAさん、Оさんが主に事務系を
歩んでこられたのに対しKさんは技術系の方という違いはある。
そうとあってか、大変に実直なご性格だ。
返信いただいたメールの文面もしかり。
「(夫婦)二人とも元気です。
不要不急の事柄がいかに大切か痛感させられますね。
早く収束すると良いのですが。ご自愛ください」
最後に「今はお会いできませんが、
時々はこうしてメールでやり取りしましょう。
そうでもしないと息苦しくてしようがありません」とあった。


少しばかりの徳

2020年04月24日 05時43分03秒 | エッセイ
夜更けの交差点。信号は赤。
中年の男性がポツンと一人立っている。
右を見ても左を見ても、1台の車のライトもなく、
歩道を渡ろうと思えば何の心配もなく渡れるはずだ。
だが、その出版社の社長は青に変わるまでじっと待っている。
そんな社長の様子をたまたま見かけた社員が「どうしてなのか」問うた。
それに対する答えが、「少しばかりの徳を積んでいるのだよ」だった。
数年前見たテレビドラマの1シーンである。
              
     「徳を積む」とは分かっているようで、
     実際には何をどうすればそうなのか、よくは分からない。
     改めて調べてみると、こう書いてあった。
     まず「徳」=善行、つまり人に礼、見返りを求めない良い行い、とある。
     だから「徳を積む」というのは、
     簡単に言えば「人が見ていないところでも善行する」ということだろう。
     テレビドラマのシーンが、まさにそのようなことだと思う。

他にどんなことがあるだろう。
「寄付や募金をする」「汚れている所があれば進んで掃除をする」
「下心なく相手が喜ぶことをする」――さしずめ、こんなことが思いつく。
まだまだ、いろいろとあるはずだ。
だが、今挙げたことだって「言うは易し」の類のことである。簡単なことではない。
さらに調べていくと、
「徳を積む」第一歩は「愚痴らないこと」とあった。
これとて「言うは易し」であろうが、何とかやってみよう。
まずは、新型コロナウィルスに関する愚痴を封じ込めておくことから。
いつまで続けられるか。なかなかに難しいことのように思えるのだが……。

言いたくはないが……

2020年04月23日 06時13分01秒 | 小ネタ

緊急事態宣言中、あれほど外出自粛を呼び掛けているのに
湘南海岸はサーファーであふれているし、付近の道路は東京など
県外ナンバーが数珠つなぎになっている。
あるいは、自分の県のパチンコ店が休業したからと、隣県にまで押しかける。
テレビがそんな光景を伝えているのを見て、驚くやら、呆れるやら。
東日本大震災の際、非常時であるにもかかわらず、整然と並ぶ人たちの姿に
世界各国が驚き「世界一規律正しい日本人」と称賛したのが、嘘のようだ。
あれは何だったのか。
                            
マスコミが「不偏不党に徹し、自らの主義・主張をもって権力を正す」
との崇高な理念を掲げているのは承知している。
だが最近、それが少々怪しい。
大衆迎合的に過ぎないか。そう思うことが多くなった。

家にじっとこもって2週間。目の前のテレビは一日中、
新型コロナウイルスの話を流している。
そのテレビは「単に政権を批判しておればよい」という姿勢が色濃く、
番組は政府に対する批判めいた話を柱に組み立て、しかも並ぶ評論家や専門家は
その局お気に入りの人ばかり。局の代弁者の役割を担わせている。
放送内容もネガティブなものが大半を占めているとあれば、
2週間の苛立ちがさらに煽られ、気持ちが落ち込む。
ええぃ、と電源オフにする。

そして、腹立ちまぎれにマスコミに対しこう言いたくなる。
「テレビや新聞は、『こんな時にサーフィンやパチンコに興じている人は、
警察なり自衛隊を使って取り締まれ』とでも言ってみたらよい」と。
とんでもない話であるのは分かっている。
「そんなことをしたら、一党独裁の中国と同じになってしまうではないか」
そう反論されるに決まっている。

だが仮に、「外出自粛さえ出来ない日本人、日本であってはいけない」
との大義を振りかざし、「やはり公権力で民を支配する方が秩序は保てる」
との野望を持つ政治家がいたとしたら……秩序を保てない日本人が自ら、
その野望に絶好の口実を与えかねない。
日本人はそれを望んでいるのか。
そうでは決してあるまい。
そんな国、そんな時代にならないためにも、自らを律しておいたがよい。

ご冗談を

2020年04月22日 05時44分12秒 | 小ネタ
「よくマラソンランナーは短命と言われるが、実際、体育会系の人は、
そうではない人よりも平均寿命が約6年短いという調査結果がある」
ネットをあれこれとのぞいていたら、
週刊誌から拾ったこんな話に、ぎょっとなった。
まさに運動漬けとも言える4年間の大学生活を送った身だ。
とんでもないことを言いやがると、少々腹も立った。
             
「若い頃に激しい運動をしてきた人は、
心臓の摩耗と機能低下を抱えていることが多い。
その蓄積されたダメージが歳を取ってから露見することがある」
さる医師が、その理由をそう語っていた。
確かに、運動選手の心臓は普通の人より大きく、よく『スポーツ心臓』と言われる。
それが原因で突然死したスポーツ選手がいるにはいる。
ただ「平均寿命が約6年短い」と言われると、ただ事ではない。

突然死で思い出した。30年ほども前になるか、ある医師と知り合いになった。
何気ない話をしていたら、その医師がこんなことを言い始めたのだ。
「あなた、何年のお生まれですか」
「昭和17年です」
「ああ、そうですか。私よりちょうど一回り下だ。
ところで、あなたの世代、突然死のリスクが高いんですよね」
死というものを、まだ意識することもない50歳にもならぬ男をつかまえ、
医師たる者が何たることを……。
「先生、何故なんですか。それって」
少しばかりの怒りを込めて聞いてみた。
「そもそも、あなたたちは幼少期が食糧難だった世代なのです。
つまり栄養不足だったんですね。
青洟を垂れた子が多かったでしょう。あれもタンパク質の摂取不足です。
突然死が多いのは、この幼少期の栄養不足が一因らしい」
そう言われれば、確かに垂れた洟を服の袖で拭い、
袖口がテカテカ、ゴワゴワとなった子が多かった。
「あなた、ご兄弟は?」医師が続ける。
「兄3人に、姉2人の末っ子です」
「なるほど、そうだとお母さんのおっぱい、あまり飲めていませんね」
「さあ、どうでしたでしょう。よく覚えていませんね」
「おっぱい、大事なんだがなぁ」医師のつぶやきが重く響く。
嫌になって早々に退散したのだった。

あと数カ月で78歳となる。突然死のリスクが高いと言われながらも
何とか生きてきた。せめて平均寿命81.25歳までは生きてみたい。
それにはマラソンランナーみたいにもう少しペース配分を
考えた方がいいかもしれない。
思い立ったら何事も突っ走ってしまうのが悪い癖だ。
途中ではーはー、ぜーぜーとなり、ガクンとペースを落とさざるを得なくなる。

このブログにしてもそうだ。
知人にやり方を簡単に教えてもらって始めたブログ、一気呵成とばかりに書いてきた。
なのに、コメントをいただきながら返信する方法さえいまだに分からずにいるのだ。
ありがたいコメントに返信もできぬまま、誠に申し訳ない次第になっている。
お詫びしたい。もうしばらくお時間をいただきたいと思う。
                           
ブロガーの皆さんの中には、長期にわたり書き続けておられる方が多い。
おそらく、速めたり緩めたり、マラソンランナーみたいに強弱つけておられるのだろう。
このブログを始めて55日になる。
先輩たちを見習い、心臓に過大な負担をかけぬよう、
ペースを緩めることも必要なのかもしれない。


「いいね」の親指

2020年04月21日 05時44分05秒 | 思い出の記

親指を立てた「いいね」のサイン、あるいはマークを見ると、
つい孫娘に思いがいく。
僕ら夫婦の待ちに待った、嬉しい嬉しい思い出をくれた初孫の話だ。
今はもう23歳の立派な女性になっているから、
こんな話を持ち出すとしかめっ面するかもしれない。
           
   実は、この子は寝る時はもちろん、
   何かにつけ、「いいね」ポーズの親指をひょいとお口に入れる癖があった。
   つまり、指しゃぶりである。
   小さな子にはよく見られるものだが、
   この子はかなり大きくなるまでそれが続いたように思う。
   よく「それはダメよ」とたしなめたことを思い出す。
           
おそらく、それは寂しさ故だったのではないかと思う。
この子には、1つ違いの弟がいる。
厳密に言えば1年8カ月違い、学年だと姉は3月の早生まれだから2学年違う。
つまり弟は、この子がまだ2歳にもならないうちに誕生したことになる。
この2人の子の母親である長女は、僕らの元で、要するに里帰り出産したのだ。
弟が生まれる時、仕事のある父親は妻に同行できず、あいにくの不在。
母親は言うまでもなく弟の出産のため入院中とあれば、
2歳にもなっていないこの子はパパもママも側にいない、
1人ぼっちでじじ・ばばとの生活を強いられたのである。
                           
   昼間は何やかやと遊べるから気も紛れたであろうが、
   やはり夜、特に就寝時がとてもつらかったに違いない。
   何せ側には母親の温もりも、息づかいもないのである。
   それは、じじ・ばばでは到底務めきれない役回りであり、
   幼い子が寂しさを一生懸命にこらえているのを何とかあやすしかなかった。
   その時、親指はやはりお口にあった。
   でも、泣きはしなかった。
   小さい時に我慢することを覚えたのか、
   大きくなっても、この子が泣いている姿を見たことがない。
   随分と我慢強い子に育ったと思う。

ある日、親しくしている知人宅に遊びに連れて行った。
その家には、少し年上の女の子がいて結構遊び相手になってくれ
本人も楽しそうだったから、つい「泊めてもらおうか」という話になり、
この子をおいて帰宅した。

   夫婦が向かい合った食卓。突然、寂しさが込み上げてきた。
   目が潤む。互いに見合わせると、
   どちらともなく「やはり迎えに行こうか」と言うや否や、
   投げ出すように箸を置き、車に飛び乗って夜道を急いだ。

知人宅に着くと、「おーい、おいで。帰るよ」と呼びかけると、
笑顔いっぱいで飛んできた。
妻が抱き上げ、僕は友人に礼を言うのもそこそこに家へと向かった。
そして、いつものようにこの子を真ん中にして寝床に入り、
何だか安らぎみたいなものを感じたのである。
小さな親指は言うまでもなく、小っちゃなお口にあった。

   生まれてから間もなく、おそらく2時間後くらいだったと思う。
   初めて抱いた3900㌘の赤子は今、
   すらりと伸びて170㌢もある女性に育った。
   趣味でやっている社交ダンスでは、そのスタイルがひと際栄える。
   僕と一緒にライブハウスのステージに立ち、デュエットしたこともある。
   今はアメリカの大学に留学し、卒業を目前にしており、
   日本の企業への就職も内定している。

ブログ仲間の人たちに「いいね」ボタンを押そうとして、
ふいと思い出した孫娘の指しゃぶり。
孫自慢にきりはない。