久しぶりに上京したら、昨年の春にモーツアルトの顔がでかく掲げてあったところに、今年はバッハの顔が。で、“Bach is back”と書いてあります。これはダジャレですか? だってBachは英語では「バック」でしょ。
【ただいま読書中】
『九年目の魔法(下)』ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 著、 浅羽莢子 訳、 東京創元社、2004年、1700円(税別)
下巻の目次です。第3部“WHERE NOW(Allegro con fuoco(熱情をこめて軽やかに))”、第4部“NOWHERE(Presto molto agitato(速く、きわめて激しく))”、コーダ(scherzando(諧謔的に))。またまた言葉遊びですが、激しく、とか諧謔的に、が気になります。
「ライムジュースが耳で聞けるものなら、ヴァイオリンのような音がするだろう」
母にも父にも捨てられたポーリィを迎えるのは、ブリテン、ショパン、エルガー、フォーレ、ヘンデル、ハイドン、そして色っぽいフルートのモーツァルト。そして意外な再会(「来たのか! 絶対忘れるようにしたつもりだったのに!」)。
妨害にも負けずリンの四重奏楽団は成功への階段をのぼり始めます。ポーリィには熱心にキスをしたがる男の子が二人まとわりつきます。しかし、明らかに命を狙った襲撃がリンとポーリィを。ついにポーリィは、自分の生活と自分の単一の記憶が、まやかしであることを知ります。そして、最後の裏切りが。9年ごとにお葬式が出るお屋敷から、また次の葬儀が行われる刻限まで、あとわずかです。
読み返すと私の日本語は壊れていますね。ただ、ネタバレをしないようにするにはこんな手しか思いつかないのです。提示できるのは、謎めいたほのめかしだけ。ただ、張られた伏線を丹念に読み解きつつ、ポーリィが自分の記憶を読み解いていく作業に付き合っていたら、物語は自然にコーダへとなだれ込んでいきます。誰かの悲鳴と共に。そうそう、“ラスボス”が妖精の女王であることは早くから明示されていますからそのことは書いておきましょう。人間が抗うことができない力(多数の人間の記憶さえも操ることができるのです)を持った“敵”とどうやって戦い勝利を得るかの冒険、それと痛切なラブストーリー(「あしながおじさん」にちょっと似ています)との両立という、きわめてアクロバティックな物語を成立させた著者は、やはりすごいや。
【ただいま読書中】
『九年目の魔法(下)』ダイアナ・ウィン・ジョーンズ 著、 浅羽莢子 訳、 東京創元社、2004年、1700円(税別)
下巻の目次です。第3部“WHERE NOW(Allegro con fuoco(熱情をこめて軽やかに))”、第4部“NOWHERE(Presto molto agitato(速く、きわめて激しく))”、コーダ(scherzando(諧謔的に))。またまた言葉遊びですが、激しく、とか諧謔的に、が気になります。
「ライムジュースが耳で聞けるものなら、ヴァイオリンのような音がするだろう」
母にも父にも捨てられたポーリィを迎えるのは、ブリテン、ショパン、エルガー、フォーレ、ヘンデル、ハイドン、そして色っぽいフルートのモーツァルト。そして意外な再会(「来たのか! 絶対忘れるようにしたつもりだったのに!」)。
妨害にも負けずリンの四重奏楽団は成功への階段をのぼり始めます。ポーリィには熱心にキスをしたがる男の子が二人まとわりつきます。しかし、明らかに命を狙った襲撃がリンとポーリィを。ついにポーリィは、自分の生活と自分の単一の記憶が、まやかしであることを知ります。そして、最後の裏切りが。9年ごとにお葬式が出るお屋敷から、また次の葬儀が行われる刻限まで、あとわずかです。
読み返すと私の日本語は壊れていますね。ただ、ネタバレをしないようにするにはこんな手しか思いつかないのです。提示できるのは、謎めいたほのめかしだけ。ただ、張られた伏線を丹念に読み解きつつ、ポーリィが自分の記憶を読み解いていく作業に付き合っていたら、物語は自然にコーダへとなだれ込んでいきます。誰かの悲鳴と共に。そうそう、“ラスボス”が妖精の女王であることは早くから明示されていますからそのことは書いておきましょう。人間が抗うことができない力(多数の人間の記憶さえも操ることができるのです)を持った“敵”とどうやって戦い勝利を得るかの冒険、それと痛切なラブストーリー(「あしながおじさん」にちょっと似ています)との両立という、きわめてアクロバティックな物語を成立させた著者は、やはりすごいや。