【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

裁判員/『王様は裸だと言った子供はその後どうなったか』

2009-04-12 18:43:40 | Weblog
 「入信しないと、地獄に堕ちるぞ」と私の玄関先で言い捨てていった人、あの人がもし裁判員に選ばれたら、一体どんな判決を支持するのでしょうねえ。

【ただいま読書中】
王様は裸だと言った子供はその後どうなったか』森達也 著、 集英社新書、2007年、700円(税別)

 自由な執筆ができなくなった“時局”で太宰治はパロディ(既成の物語や歴史の登場人物に自らのテーマを仮託する手法)を積極的に選択し、『お伽草子』を書きました。著者も「戦後レジームからの脱却」を行っている“時局”にやはり同じ手法を用いてみる、のだそうです。

 「桃太郎」……成長した桃太郎は、公正中立不偏不党の位置にいるジャーナリストとなり、3匹を従えて鬼ヶ島に突撃取材を敢行しました。
 「仮面ライダー」……「ペイしない企業」ショッカーの内情を切々とつづっています。
 「赤ずきんちゃん」……著者によるとこれは、無邪気を装う残酷な赤ずきんちゃんと、恋に溺れた可哀想な狼との悲恋の物語なんだそうです。
 「コウモリ」……イソップのコウモリのお話ですが、著者は「なんで獣と鳥が戦争をしなければならないんだ?」と疑問を提出します。
 「美女と野獣」……片方に位置するのは「醜いが優しい心を持つ野獣」、もう片方は「美しいが残酷な心を持つ美女」の対立と著者はこの話を捉えます。

 パロディといえばパロディですが、元ネタを明示しつつ著者が自分の心情(または信条)を自由に記述したもの、とも言えます。パロディと言うには、メタレベルでちょっと著者が表に出すぎですから。
 偉そうに感想を述べるなら、それぞれの着想は面白いのですが、どうも“インパクトが弱い”と感じます。自主規制じゃないけれど、恥じらいかなにかが働いたようでどこかブレーキがかかっているようで、筆の滑りがあまりよくありません。どうせなら著者は「自分の主張」をもっと押さえて、とことん暴走する漫才のようなネタにすればよかったのに、と思います。「自分の主張」がまっすぐには読者に届かなくなるかもしれません。しかし、そのぶんネタのパワーは増し、読者の心でいろいろな反応を起こしたことでしょう。そのほうが「作品」としては面白くなったんじゃないかなあ。