生殖に関して、オスは脇役に過ぎません。自然界はやろうと思えば単為生殖だってできるのですから。だからこそオスは社会生活では主役を演じたがるのかもしれません。
【ただいま読書中】『〈子供〉の誕生 ──アンシャン・レジーム期の子供と家族生活』フィリップ・アリエス 著、 杉山光信・杉山恵美子 訳、 みすず書房、1980年、4800円
中世のヨーロッパは多産多死の社会でした。子供は次々生まれ次々死んでいきます。もちろん親子の愛情は存在していますが、その「質」は現代のものとはずいぶん違うものでした。
さらに「子供」の定義が違います。現代では「性的成熟度」や「社会での自立度(学校に行っているかいないか)」がその指標ですが、中世では「従属・依存」の観念と「子供」が結合していたのです。ある程度自立して動けるようになれば(今で言えば小学生あるいはそれ以前に)その人は「小さな大人」として扱われ、社会に出て行きました。徒弟修行で大人に混じって働き鍛えられ育っていくのです。
それが変化したのは17世紀末頃からです。徒弟修行は少しずつ「学校」に置き換えられていきました。著者はこれを「学校化」と呼び、「子供を社会(大人と入り交じっている世界)から隔離する過程」とします。それに伴い「家庭」も「夫婦・親子の間の感情の場」に変化します。それまで半ば「匿名の存在」だった子供が「親に注目される存在」に変化していったのです。
このあたりの考察は細やかです。家族や子供の肖像画の描かれ方、子供の墓があるか、墓銘の内容、書簡集などを時代別に考察し、著者は社会の意識の変化を明らかにしていきます。で、著者が注目するのは17世紀。たとえば「子供が単独で描かれる肖像画」は17世紀に急増するのです(私はフェルメールを思い出します)。さらに「子供服」の萌芽も見られます。つまり「〈子供期〉が存在すること」に人びとが気づき始めたのです。
遊びや祝祭もまた、各年齢が集まってごちゃ混ぜで楽しむものでした。それは共同体では公認されたものでしたが、厳格な規律を重視する人たち(いわゆるエリート)は遊びに対して不寛容でした。その“妥協”が、近代的な遊びへの態度(“良い遊び”は子どものために認めるが、それ以外は禁止)に結実します。(なお、19世紀の英国では、貴族はブルジョワジーと“組ん”で、「遊び」を「スポーツ」に改変してしまいました)
子ども相手に性的な悪戯をしかけることも公認されていました(実例がいくつも登場しますし、そもそも当時はファミリーベッドの時代です)。しかし「子供は無垢」という観念が登場し17世紀の1世紀をかけて社会で共有されるようになりました。
「学校」についてはちょっと変わったアプローチが取られます。初等教育と高等教育にわけて古代から中世まで概観しているのですが、そこで重要視されているのが「教育と社会の関係」です。教育は社会の変化によって変化し、こんどは教育が社会に「環境(の一部)」として影響を与えていることを示しています。ここで短い文章ではとても書ききれませんが、この教育の章だけでも本が一冊(あるいはそれ以上)書ける内容です。
学校の中でも「各年齢ごちゃ混ぜ → 分化」が見られます。そして「学年(学級)」がきちんと成立したのが、またもや17世紀でした。(歴史的な「クラス」ということばの初出は、16世紀初めのエラスムスの書簡だそうです) かくして「子供の年齢別の分類および学年ごとの履修課程」という概念まで確立してしまいます。さらに「規律」という新しい原理が登場します。それまでの「小さな大人」が、教師によって監視されるべき「弱い生徒」になったのです(これが一直線に「体罰による管理」につながっていきます。ちなみに体罰はそれまでは農奴に対する恥辱的な懲罰でした)。
最後に「家族」。中世には子供は7歳くらいまで家族と過ごしますが、“巣立ち”をしたらそこで関係は終了しました。しかし学校で学ぶ生徒が増えるにつれ(たとえ寄宿舎学校であっても)子供と家族の関係は延長されていきます。親が子供にそそぐ「まなざし」に質的・量的変化が生じたのです。さらに、中世の「家族」は社会の中にプライバシーなく存在するものでした。「独立した家族」という観念さえなかったのです。「家族意識」が発達したのは15世紀から18世紀にかけてです。それは同時に「個人」が「社会」から身を守ろうとする動きとも連動していました。
本書はフランス(とイギリス)の歴史がベースになっています。ただ、日本でも似たことは言えそうです。ごちゃ混ぜの社会から分化した社会への変化、という観点は共通でしょう。本当に刺激的で楽しめる本でした。しばらく経ったら再読決定。
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【ただいま読書中】『〈子供〉の誕生 ──アンシャン・レジーム期の子供と家族生活』フィリップ・アリエス 著、 杉山光信・杉山恵美子 訳、 みすず書房、1980年、4800円
中世のヨーロッパは多産多死の社会でした。子供は次々生まれ次々死んでいきます。もちろん親子の愛情は存在していますが、その「質」は現代のものとはずいぶん違うものでした。
さらに「子供」の定義が違います。現代では「性的成熟度」や「社会での自立度(学校に行っているかいないか)」がその指標ですが、中世では「従属・依存」の観念と「子供」が結合していたのです。ある程度自立して動けるようになれば(今で言えば小学生あるいはそれ以前に)その人は「小さな大人」として扱われ、社会に出て行きました。徒弟修行で大人に混じって働き鍛えられ育っていくのです。
それが変化したのは17世紀末頃からです。徒弟修行は少しずつ「学校」に置き換えられていきました。著者はこれを「学校化」と呼び、「子供を社会(大人と入り交じっている世界)から隔離する過程」とします。それに伴い「家庭」も「夫婦・親子の間の感情の場」に変化します。それまで半ば「匿名の存在」だった子供が「親に注目される存在」に変化していったのです。
このあたりの考察は細やかです。家族や子供の肖像画の描かれ方、子供の墓があるか、墓銘の内容、書簡集などを時代別に考察し、著者は社会の意識の変化を明らかにしていきます。で、著者が注目するのは17世紀。たとえば「子供が単独で描かれる肖像画」は17世紀に急増するのです(私はフェルメールを思い出します)。さらに「子供服」の萌芽も見られます。つまり「〈子供期〉が存在すること」に人びとが気づき始めたのです。
遊びや祝祭もまた、各年齢が集まってごちゃ混ぜで楽しむものでした。それは共同体では公認されたものでしたが、厳格な規律を重視する人たち(いわゆるエリート)は遊びに対して不寛容でした。その“妥協”が、近代的な遊びへの態度(“良い遊び”は子どものために認めるが、それ以外は禁止)に結実します。(なお、19世紀の英国では、貴族はブルジョワジーと“組ん”で、「遊び」を「スポーツ」に改変してしまいました)
子ども相手に性的な悪戯をしかけることも公認されていました(実例がいくつも登場しますし、そもそも当時はファミリーベッドの時代です)。しかし「子供は無垢」という観念が登場し17世紀の1世紀をかけて社会で共有されるようになりました。
「学校」についてはちょっと変わったアプローチが取られます。初等教育と高等教育にわけて古代から中世まで概観しているのですが、そこで重要視されているのが「教育と社会の関係」です。教育は社会の変化によって変化し、こんどは教育が社会に「環境(の一部)」として影響を与えていることを示しています。ここで短い文章ではとても書ききれませんが、この教育の章だけでも本が一冊(あるいはそれ以上)書ける内容です。
学校の中でも「各年齢ごちゃ混ぜ → 分化」が見られます。そして「学年(学級)」がきちんと成立したのが、またもや17世紀でした。(歴史的な「クラス」ということばの初出は、16世紀初めのエラスムスの書簡だそうです) かくして「子供の年齢別の分類および学年ごとの履修課程」という概念まで確立してしまいます。さらに「規律」という新しい原理が登場します。それまでの「小さな大人」が、教師によって監視されるべき「弱い生徒」になったのです(これが一直線に「体罰による管理」につながっていきます。ちなみに体罰はそれまでは農奴に対する恥辱的な懲罰でした)。
最後に「家族」。中世には子供は7歳くらいまで家族と過ごしますが、“巣立ち”をしたらそこで関係は終了しました。しかし学校で学ぶ生徒が増えるにつれ(たとえ寄宿舎学校であっても)子供と家族の関係は延長されていきます。親が子供にそそぐ「まなざし」に質的・量的変化が生じたのです。さらに、中世の「家族」は社会の中にプライバシーなく存在するものでした。「独立した家族」という観念さえなかったのです。「家族意識」が発達したのは15世紀から18世紀にかけてです。それは同時に「個人」が「社会」から身を守ろうとする動きとも連動していました。
本書はフランス(とイギリス)の歴史がベースになっています。ただ、日本でも似たことは言えそうです。ごちゃ混ぜの社会から分化した社会への変化、という観点は共通でしょう。本当に刺激的で楽しめる本でした。しばらく経ったら再読決定。
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