【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

行動化

2011-03-05 17:24:19 | Weblog

 好きな人とは必ず結ばれなければならないのだったら、嫌いな人は必ず殴りに行かなければならない?

【ただいま読書中】『青年ルター(2)』E・H・エリクソン 著、 西平直 訳、 みすず書房、2002年、3000円(税別)

 修道院での日々は、マルチンにとっては、これまでの社会から隔絶されて教化訓練を受ける「モラトリアム」の日々でした。著者は修道院制度を心理学的に「回心・転向」の心理学的法則で捉えています。1年が経ちマルチンはその優秀さゆえ司祭に任ぜられます。服従の誓いからはその任を拒否できません。しかしマルチンは「一介の修道士である」という誓いも立てていました。マルチンは葛藤を抱え込みます。さらに「モラトリアム」には「父の影」がかかっていました。節目には父親が修道院に登場するのです。
 マルチンは、強迫症的な行動(たとえば“完璧な告解”をしようと努力)をするようになります。さらに性的な問題も浮上。本人は「自分は変わった修道士だっただろう」と言っていますが、その変わった修道士の中で少しずつ新しい神学大系が組み上げられていきます。マルチンは説教師・講師としての経験を積み、その結果「修道士マルチン」とは別の「説教者ルター」が歴史に登場します。ルターの説教は人気があり、当時のハイテク(=出版)によって各地に広められました。そして「説教者」は「改革者」になります。それは教会の税制に制限を加えたい北ドイツの“事情”にとって、見逃すことのできない“好機”でもありました。ルターにとっても「父」を「教皇」に置き換えることは個人的にメリットのある行為でした(“敵”として不足はないから全力で攻撃できるし、これまで自分を支配していた父を「お前は生物学上の父に過ぎない」と貶めることもできます)。
 本書では二つの「軸」が指摘されます。現世という“水平軸”と神へ到る“垂直軸”です。ところが「体制」となってしまったカトリック教会は、本来は細い垂直軸であるはずなのにあまりに肥大化しその内部に“水平軸”(階層制度とか経済活動)を抱え込んでしまった、それに対する異議申し立てで一番成功したのがルターだった、と著者は述べているように私は捉えました。
 さらに二つの別の“軸”もあります。本書では、「ルター」の個人史を「アイデンティティ」という視点から眺める「軸」と、中世とルネサンスの衝突という「社会の軸」の両方から描こうとする試みがされています。さらに「ルター」と「フロイト」という“軸”も。いくつもの視点が絡んでけっこう複雑で難解な内容ですが、非常に読みやすく書かれています。それはおそらく著者の思考がきちんと整理されているからでしょう。ただ、「青年期の危機」「アイデンティティ」「モラトリアム」「父」といった主題に絞るのなら、本書は前半だけで終了しても良かったと思います。もちろん後半は後半で面白かったのですが、ちょっと主題が分裂気味に思えました。
  著者はルターについて述べる時、ごく自然に精神分析の用語を用いています。しかし著者自身は精神分析(そのものやその手法)から、一歩離れたところに自身を置いているような口ぶりです。まるで「メタ」の視点を使っているみたい。もしかしたらここに登場する「ルター」(の一部)は著者自身のことで、だからこそ“深入り”を避けているのかもしれません。