「探検」……検を探る
「私立探偵」……個人が立って偵察機を探す
「電探」……電子探偵の略
「超音波探傷法」……毛を吹く代わりに超音波を使ってみました
「草の根を分けてでも探し出す」……超音波はたぶん使えない
「探り箸」……箸に目はついていない
「露探」……露わになった探偵
「あら探し」……魚のあらを探す
「鉦太鼓で探す」……うるさい捜索隊
「痛くもない腹を探られる」……早期発見
【ただいま読書中】『柿渋』今井敬潤 著、 法政大学出版局、2003年(05年3刷)、2800円(税別)
この手の本(と言ったら失礼になるかもしれません)が三刷までいくとは、それだけでちょっと嬉しくなってしまいます。
「柿渋」は、未熟な渋柿を潰し圧搾して得た液を発酵させて造られた褐色の液体です。その製造法や利用法については、中世からぼちぼちと文献に登場していますが、しっかりした文献がそろうのは近世になってからです。
柿渋には強い防水効果があるため「柿油」とも呼ばれました。漁網や釣り糸を長持ちさせるためにタンニン染めがおこなわれましたが、ここで柿渋の出番です。本書には「四百尋の地引き網を染めるためには青柿が1.5トン必要」という試算があります。昔は自家製でしょうから、漁業を維持するのは大変です。なお、柿が入手困難な地域では、カシワやシイ、あるいはヤギの血液などが用いられています。
「渋下地」と呼ばれる、漆塗りの下地に柿渋を使う手法もあります。素地に漆が過度にしみこむことを防止して高価な漆を節約でき仕上げは堅牢になるそうです。
布の染色にも柿渋は用いられました。江戸時代には「柿衣」と呼ばれ酒屋の手代などのお仕着せに用いられたそうです。「平家物語」にも「柿の衣」が登場するので、おそらく鎌倉時代には柿渋染めがあったのではないか、と著者は推定しています。なお「日葡辞書」に「渋染」がありますが、文献上はこれが最古の出典だそうです。(『全国アホ・バカ分布考 ──はるかなる言葉の旅路』でも「日葡辞書」は重要な役割を果たしていましたが、古い辞書って、本当に貴重なものなんですね)
柿渋を接着剤として用いて作られた厚紙を「渋紙」と呼び、行商人などが丈夫な包装紙として重宝しました。風合羽・染色用の型紙など柿渋と紙の相性は良いものですが、やはり「和傘」を忘れてはいけないでしょう。それと(七輪の火をあおぐのに使う)渋団扇。これは丸亀団扇が有名ですが、使う柿渋は対岸の尾道産だそうです。
木造住宅の防腐目的で、外壁や板塀に柿渋を塗る工法もありました。渋塗りと呼ばれ、昭和の初期まで日本では広く行われていたそうです(やがてペンキ塗装にかわっていきました)。
ちょっと変わったところでは「風船爆弾」。こんにゃく糊に柿渋が混ぜられて接着力を増していたそうです。
民間薬としても柿渋は用いられていましたが、毒蛇に噛まれたときにすぐに柿渋を塗るというのは、どうも医学的根拠があるもののようです(少なくともタンニンは蛇毒と結合します)。一度体内に入った毒を中和するのは困難でしょうが、もしかしたらそれで助かった人もいるかもしれません。
「渋柿」と言えば、私は一度かじって口が曲がったことがありますが、つるし柿とか干し柿のためのものと思っていました。しかし「日本の産業」に非常に大きな役割を果たしていたことを本書を読んで知ることができました。だからこそ日本中にあれだけの渋柿が植えられているわけです。「ブラジルの熱帯雨林に新しい遺伝子を探しに行く」のも良いですが、“足許"に活用されていないせっかくの“資源"があるわけです。なにか新しい活用法が見つかったら良いんですけどね。