「人間」を「鞭を振るわなければ“芸"が仕込めない動物」と定義している人がこの世にはいます。そんな人には「人間はそんな動物ではない」という概念を“鞭"で頭にたたき込んで上げようか、と思うこともあります。
【ただいま読書中】『人体解剖図 ──人体の謎を探る500年史』ベンジャミン・A・リフキン、マイケル・J・アッカーマン、ジュディス・フォルケンバーグ 著、 松井貴子 訳、 二見書房、2007年、3200円(税別)
「人体解剖図」と言われて私がすぐに想起するのは『解體新書』、それから解剖教育をうける医療系の学部(医学部、歯学部、看護学部、リハビリ、など)で使う解剖学の教科書です。だけど対象となるのは「人体」ですから、筋肉は筋肉・骨は骨・内臓は内臓……教科書によってそれほど大きな違いはないのではないか、とも思いますよね。ところが違うのです。
中世の解剖学は、古代ローマのものがそのまま生きていました。「古代ローマの教科書」がいわば“聖書"のように扱われ、「実際に人体内がどうなっているか」ではなくて「“聖書"にどう書いてあるか」の方が重要視されていたのです。
そこで登場するのはレオナルド・ダ・ビンチ。彼の解剖図の“目的"は「芸術」です。彼は極力“客観的"に「人の内部」を描こうとしますが、「時代の様式の制限」「技術的制約(死体の保存が難しいこと、使える道具・材料の制限、など)」「個人の資質(癖、どこに注目するか、など)」によって「写真に撮ったような客観的な図」とは遠いものができています。
近代的な解剖図は、1543年にヴェサリウスが出版した「ファブリカ」によって始まりました。ところがこの解剖図で、たとえば骸骨は遠くの山をバックにしてポーズを取っています。1545年シャルル・エティエンヌの「人体解剖図」でも、たとえば妊婦はお腹の中身をさらけ出して街の中でやはりポーズを取っています。1560年ファン・ワルエルダ・デ・アムスコの「人体解剖学」では、解剖されている途中の人体がもう一つの人体を解剖しています。
昔のヨーロッパ人にとって「死体」は「物体」ではなくて、ナニカ(魂? 神?)に駆動されるもの、というとらえ方だったのかもしれません。それでもキリスト教界はヴェサリウスを攻撃しました。「神の最高の制作物」に対して人間が「どうなっているのかくわしく知ろうとする」こと自体が不敬の極み、ということだったのでしょう。
そういえば「解體新書」も「漢方医学に対する一種の異議申し立て」でしたね。現代社会のパラダイムの中に生きる人間にとっては、“それ"があまりに当たり前のものですから、かつての世界を支配していたパラダイムがどのようなものだったか、そこに新しいパラダイムがいかに構築されたのかを実感をもって感じることは難しいものです。想像することはできますけどね。そこで役に立つのが「図版」でしょう。文字通り「百聞は一見にしかず」「一目瞭然」です。
面白いことに、18世紀の解剖図でもまだ死体はポーズを取っています。それが19世紀のものでは「ばらされた部品の集合体としての死体」が描かれています。フーコーが『臨床医学の誕生』で、近代医学の誕生を18世紀末としていましたが、この解剖図の変化もまた、フーコーの主張を支える“傍証"として使えそうです。
そして有名な「グレイの解剖図」(1858年)の登場です。そういえば『グレイ解剖学の誕生 ──二人のヘンリーの1858年』の読書日記は2011年1月24日に書いていましたっけ。
死体や臓器の画が満ちた本なので、嫌いな人には近づくことはお勧めしません。ただそういったものに忌避感がない人には、何か新しいものが見つかることは保証できます。