【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

長財布の効用

2016-03-03 06:52:01 | Weblog

 「長財布でお金が貯まる」という風説があるそうです。私はその意見に賛成です。ただし「その財布を使う人」にではなくて「その財布を作ったり売ったりする人」の方にお金が動く、という見方をしているだけですが。

【ただいま読書中】『最初の礼砲 ──アメリカ独立をめぐる世界戦争』バーバラ・W・タックマン 著、 大社淑子 訳、 朝日新聞社、1991年、3398円(税別)

 1776年11月16日西インド諸島オランダ領セントユーステイシャス島に入港しようとするアメリカ船アンドリュー・ドーリア号が外国船の儀礼をして放った礼砲に対し、オレンジ砦から答礼の大砲発射が行われました。これはオランダが「アメリカ」を「国家」として認めたことを示していました。独立革命以後、外国の官吏がアメリカ国旗と国家を承認した初めての(とアメリカ大統領が認識している)行為でした。
 独立戦争で植民地軍は弾薬の欠乏に悩まされました。オランダ商人がセントユーステイシャス島を中継基地として密貿易を行ったのが植民地軍への唯一の武器供給ルートでした。イギリスは当然強硬な抗議をオランダに行います。しかし、スペイン支配に抵抗した歴史を持つオランダにとって「反乱者」に肩入れするのは当然のことでしたし、何より「自由貿易の儲け」は莫大だったのです。オランダ商人たちは危険を冒して密貿易を続けます。そして、77年にサラトガの戦いに勝利することで植民地軍が優勢となり、78年にはフランスがアメリカと同盟を組んで参戦します。デ・グラーフ総督が撃たせた答砲は、そういった歴史の流れの前触れだったのです。
 ワシントン総司令官は海軍の重要性を認識しており、編成された「アメリカ海軍」の最初の4隻の内の1隻が改造商船アンドリュー・ドーリア号でした。そしてアメリカは、戦争を有利にするために「世界」を上手く巻き込もうと画策します。海軍は、英国海軍だけではなくて、世界に対する“武器”としての機能を期待されていたのです。
 英国の海上覇権(諸国への無理のごり押し)は、あちこちで反感を買っていました。ロシアの女帝エカテリーナ二世もその一人で、英国に対抗するために武装中立国際連盟を構想します。ポーランドの1/3を入手した女帝は、オスマン帝国の転覆と地中海の不凍港入手を夢見ていました。同時に、英国によって傷つけられたエゴの回復も。「傷つけられたエゴ」と言えば、英国も「植民地で反抗する不忠で不逞の輩(と、それにこっそり味方する諸国)」によってエゴを傷つけられていました。イギリスはボストンでの教訓を忘れて露骨なプレッシャーをオランダにかけますが、それによって怒ったオランダは武装中立連盟に加入することを決意します。最終通告を拒絶されたイギリスはオランダに宣戦布告。戦争の原因としてノース卿は議会での演説の中で「セントユーステイシャス島での礼砲」についても触れています。この戦争はオランダにとって高くつきました。貿易中継基地としてオランダに莫大な富をもたらしていたセントユーステイシャスは没落し、オランダの国力は削がれ、最終的にナポレオンによってフランスに併合されてしまったのです。セントユーステイシャス島を攻略したイギリスのロドニー提督は、敵を罰することと略奪に忙しくて、フランス軍艦がアメリカに向かうのを看過してしまいました。実はアメリカへの物資輸送の主力は、すでにオランダからフランスに移行していたのです。さらに、島から英国に略奪品を輸送する船団はフランス艦隊に拿捕され、ロドニー提督は略奪について非難され裁判沙汰になってしまいます。
 当時の「海」は荒っぽい世界でした。「敵」の商船は拿捕する権利が法的に保障され、拿捕したら捕獲賞金法に従って艦長以下全乗組員が獲得できるシステムがあったのです。「国のため」よりも「自分の財産形成」のために海に乗り出す人が多くいただろうと想像できます。で、英国としては、正規の海軍の予算は削減したくなります。放って置いてもせっせと働く艦長たちがいるのですから。これはイギリス海軍を弱体化させました。さらに「戦闘教本」の絶対視(少しでも違反したら艦長は軍法会議)が艦長や司令官を縛り上げてしまいます。
 それにしても本書で描かれる各国の海軍事情は、「いかに戦争に勝たないか」にどの国も熱中しているかのように見えて仕方ありません。個人的欲望や内部での権力闘争にかまけて、いかに戦争に勝つかへの努力をおろそかにしている人ばかりなのですから。
 ともあれ、サンドウィッチ海軍長官はやっと本気になり、ロドニー提督とその艦隊をジブラルタルに派遣します。スペイン相手の海戦は大勝利。イギリスは増長します。しかしフランスは、これまでの古い恨みにプラスして新しい恨み(カナダを取られたこと)があり、さらにアメリカを援助して革命の戦争を長引かせることで大英帝国を弱体化させようという狙いから、アメリカに援助を続けます。これがやがて自分たちの「旧体制(アンシャン・レジーム)」をひっくり返す動きにつながることも知らずに。
 アメリカ植民地軍は劣勢で、イギリス軍は勝利を確信していました。しかし実はこの戦争は消耗戦で、イギリスはゆっくりと痛めつけられていたのです。派遣する戦力も足りなくなり、イギリスはドイツの傭兵も使っています(この傭兵の残酷な振る舞いがまた“アメリカ人”の憤激を買いました)。もっとも、ジョージ・ワシントンにとっても事態はじり貧で、破滅の日へのカウントダウンが始まっていました。そこに、フランスから、陸海軍の援軍が到着します。さらにサントドミンゴのスペイン総督が自分の兵を合流させます。イギリスは「アメリカ「オランダ」「スペイン」「フランス」と戦わなければならなかったのです。なるほど、「世界戦争」です。
 唯一、ワシントンの意図を見抜いていたロドニー提督は、病気のため本国に帰還。フランス艦隊の重要性を認識しないイギリス軍は、見当外れの戦場を設定してしまいます。ワシントンは「フランス艦隊との合流」という唯一勝ち目のある賭けに出ます。そしてその賭けに(イギリス軍の“協力”もあって)勝ってしまいました。まずはチェサピーク湾の海戦(援軍を上陸させたあとのフランス艦隊とイギリス艦隊の戦い)。損害は五分五分でしたが、イギリス艦隊はニューヨークに撤退。ヨークタウンにこもるイギリス軍に、米仏連合軍が襲いかかります。「最初の礼砲」から6年後、ヨークタウンで響いた砲声が「アメリカの独立」を確定したのです。
 アメリカ「独立」が「革命」であり、同時に「世界戦争」でもあり、最終的にはフランス革命など地球規模での変革を呼び起こしてしまったことがわかります。ワシントンがそこまで夢見ていたかどうかはわかりませんが。