リアルの小児ポルノは、対象となった“その子”に損害が及んでいるだろうことは、簡単に想像できます。だから禁止することに私は賛成です。しかし、バーチャルの小児ポルノは、具体的に誰に損害を与えているんです?
【ただいま読書中】『悪魔を思い出す娘たち ──よみがえる性的虐待の「記憶」』ローレンス・ライト 著、 稲生平太郎・吉永進一 訳、 柏書房、1999年、2000円(税別)
1988年11月、サーストン郡保安官事務所の一般部主任ポール・イングラムは、自分の娘たちから性的虐待を受けたと告発されました。真面目な警察官で通してきたイングラムの心は「娘たちが嘘を言うはずがない」と「自分にはそんなことをした記憶がない」によって引き裂かれます。心ここにあらずの感じでイングラムは「覚えはないが、娘が5歳のときに犯したんだろう」といった感じの“自白”を始めます。
娘たちの話は、「父親に犯された」「兄にも犯された」「父親の同僚にも犯された」「5歳」「13歳」「先月」とくるくる変わります。しかし子供がこんなことで嘘を言うわけがない、と人びとは戸惑いながらその話を受け入れます。かくして「容疑者」は増えます。どの容疑者も「そんな記憶はない」と主張しますが、同時に自分が記憶を抑圧しているのかもしれない、とも考えます。かくして容疑者のひとりはこう言います。「事件を思い出せないのなら、わたしはとても凶悪な男だということになる。野放しにしてはいけない」。さらにイングラムは「自分たちが悪魔崇拝の儀式を行っていたこと」も“思い出し”ます。
ふつう、捜査が進むと、多くの証拠が「一本の線」にまとまる瞬間が訪れます。ところがこの事件の場合、証拠や証言が集まれば集まるほどそこには混沌が生じます。捜査員たちは混乱します。結局信頼できる証人はポール・イングラムだけ、という変な状況になりますが、そこでイングラムは司法取引を拒否します。検察は「記憶の抑圧」ではなくて「マインド・コントロール」を主張しようと考え始めます。マインドコントロールの専門家として招かれたカリフォルニア大学バークリー校の社会心理学者リチャード・オフシー博士は関係者へのインタビューの後「この事件は、一種の集団的愚行で、セイレムの魔女狩り事件の再来だ」と確信します。
娘たちが「幼児の時に性的虐待を受けた」のを“思い出した”のは、キリスト教会の集会で「霊に満ちている」女性の講演を聴いて、少女たちが次々「自分は虐待を受けた」と告白を始める雰囲気の中でした。そして、父親が「虐待をした」ことを“思い出した”のは、自分の同僚たちから取り調べを受けている最中でした。
「幼児の時に性的虐待を受けた」という記憶を捏造することと「自分が幼児虐待をした」という記憶を捏造することが、本書ではパラレルに進行しています。そしてここで大きな“テコ”として作用しているのが「虐待と記憶の抑圧」のメカニズムが一種の「真理」として関係者全員に共有されていること、でしょう。そして、暗示に弱かったり権威者の意向に従う傾向のある人間が集まると、「偽の記憶」が発生してひとり歩きを始める場合があるのです。結局ポール・イングラムは20年の刑を言い渡され、周囲の人びとの社会的生活も重大なダメージを受けました。もしイングラムの「幼児への性的虐待」が本当の話なら、彼は罰せられるべきです。しかしそれがでっち上げだったら? 「真実」をどうやって判断したら良いのでしょう?