「点火茎」……点火用の茎
「陰茎」……日陰者の陽根
「水茎の跡」……水と茎だけ用いる書道作品
「茎針」……茎に生えた針
「茎葉」……茎に生えた葉
「茎茶」……茎だけで構成されたお茶
「歯茎」……歯のような茎
「包茎」……プレゼント用に包まれた茎
「茎長」……茎の長さ
「茎韮」……茎だけになった韮
「酸茎」……酸っぱくなった食用の茎
【ただいま読書中】『南蛮音楽 その光と影──ザビエルが伝えた祈りの歌』竹井成美 著、 音楽之友社、1995年、2233円(税別)
「西洋音楽」は明治時代に日本に導入された、と私は思っていましたが、実はザビエルの時代にすでに日本人は「西洋音楽」と出会っていました。宣教師たちは「教育」を重視し、西洋寺子屋といった感じで各地に「教理学校」を設立しました。その数は1583年には西日本だけで200校を超えたそうです。そこで教えられたのは、読書・算数・作法そして音楽でした。子供たちはグレゴリオ聖歌をすぐに覚えました。実際にどのような歌だったかは、1605年に長崎で出版された『サカラメンタ提要』が2冊日本に現存していて(東洋文庫と上智大学)、その中にグレゴリオ聖歌が19曲収載されているので確認可能です。単旋律の曲ばかりですが、これは当時のヨーロッパで「多旋律(ポリフォニー)では歌詞が聴き取りにくく、宣教には不向きではないか」という議論があったことが影響しているのかもしれません。
宣教師は音楽の力を認識していたようです。都地方の区長オルガンティーノ(ウルガン伴天連)は1577年に「オルガンや聖歌隊を送ってくれたら、九州より布教が遅れている五畿内でも信者をどんと増やしてみせる」とイエズス会総長に手紙を書き、79年に実際にオルガンが2台日本に到着しました。その1台は安土、もう1台は豊後臼杵に設置されました。このオルガンについて資料は残っていませんが、おそらく人力でふいごを操作するパイプオルガンだったはずです。音色についても不明ですが、1600年頃日本で製作されたオルガンは、竹筒のパイプで、西洋のブリキのパイプに比べて「やわらかい音色」だったそうです。私は「尺八の音色のオルガン」を想像してしまいました。
1582年天正遣欧使節団が出発。航海の途中で、ユリウス暦がグレゴリオ暦に変更される、といった“イベント”もあり、暦の計算がややこしくなっています。当時のヨーロッパは、ルネサンス・宗教改革・大航海時代で揺すぶられていました。大陸では宗教戦争が続き、イギリスでは国教会が確立していました。イベリア半島は前世紀のレコンキスタからやっと落ちついてきた時代です。ポルトガルのエヴォーラの大司教座教会で、正使の伊東ミゲルと千々石マンショは教会付属の三段鍵盤のオルガンを見事に弾き、聴衆の喝采を浴びました。なおこのオルガンは現存するそうです。ローマでは教皇グレゴリウス十三世に謁見。使節団は各地で熱狂的な歓迎を受けていましたが、着物姿が新聞などで嘲笑の的になっていることに心を痛めた教皇は、洋服をプレゼントしてくれます。ところがその教皇が死去。一行は、葬儀ミサと新教皇シクストゥス五世の戴冠ミサに出席する栄誉に浴します。帰国の途、1588年にマカオに寄港した一行は、自分たちを派遣したキリシタン大名大村純忠と大友宗麟がともに亡くなり、秀吉が伴天連追放令を出したことを知ります。知恵を絞って「インド副王の使節」という名目でやっと帰国できたのは1590年のことでした。一行は秀吉に謁見、そこでも楽器演奏が行われます。秀吉は珍しい楽器に強い興味を示しましたが、伴天連追放令の撤回はしませんでした。なお、この時演奏された曲目については「ジョスカン・デ・プレの曲ではないか」という推測が紹介されています。使節団は楽器だけではなくて、印刷機も持ち帰っていました。ローマ字の活字と字母ももたらされ、すぐに漢字の木製字母も作られ、和漢字の縦書きの「どちりなきりしたん」などが出版されました。さすがに楽譜は難しいだろう、と思ったら、最初の段落に書いた『サカラメンタ提要』にちゃんと楽譜も印刷されていました。ただ、ちょっと歌ってみたのですが、これは難しい。西洋音楽に不慣れな日本人がどこまで歌えたのだろうか、なんてことを私は思っています。
「おらしょ」とは、ラテン語・ポルトガル語の「oratio(オラツィオ・祈り)」が日本語に転訛したものですが、いわゆる「隠れキリシタン(これはあくまで他称で、自称は「離れ」「むかしキリシタン」「旧(ふる)キリシタン」などだそうです)」がこっそりと伝えた「祈り」です。もとはほとんどがラテン語ですが、それを隠れキリシタンの人たちは口授で伝え続けていました。著者が注目したのは、生月島に伝わる「歌おらしょ」です。これはほとんどグレゴリオ聖歌の原形を保っているのだそうです。もちろん現在ではその「意味」は失われ、ほとんど呪文のように唱え続けられているだけですが、信仰と習慣の力のすごさですね。
現代日本には西洋のクラシックやポップミュージックが定着しています。これは「音楽」だけではなくて「文明」「文化」も同時に流入し日本の文明や文化を攪拌しているからできたことでしょう。「音楽だけ」を輸入しようとしてもそれは定着しないことは、安土桃山時代のことを思えば明らかです。これ、国粋主義者には気に入らない事態かもしれませんが、私は音楽に関しては西洋音楽も楽しめる今の日本が好きです。