ゆるやかに温度が上がっていくのではなくて、「冬」と「春」を繰り返しながらだんだん暖かくなるのは不思議です。そこで一つ仮説をでっち上げることにしました。
低気圧が日本列島の南を通ると北風が大陸から日本に吹きつけます。これが「寒」。しかし日本列島の北を通れば南風が低気圧に引き込まれます。これが「温」。つまり、三寒四温は低気圧の通過ルートによって規定される場合があるのではないか、というのが私の仮説です。で、シベリア高気圧がだんだん元気がなくなると低気圧のルートが北寄りになることが多くなる、つまりどんどん日本列島は暖かくなる、ということです。
さて、この仮説の信憑度はどのくらいでしょう? 3:4くらい?
【ただいま読書中】『英雄から爆弾犯にされて ──アトランタ五輪爆弾・松本サリン・甲山事件』浅野健一 編、三一書房、1998年、2300円(税別)
アトランタ五輪で、パイプ爆弾を発見して人々を避難させたガードマンのリチャード・ジュエルを、その3日後アトランタ・ジャーナルは「実は爆弾を置いた真犯人だった」と号外で人々に知らせました。しかしその内容は、ただの憶測とでっち上げでありそこに描かれた人間像はまったくのでたらめでした。FBIは違法な取り調べをしてその内容を新聞にリークし、逮捕もされていないジュエルの自宅や家族の回りにメディア・スクラムが敷かれます。これは、その直前の松本サリン事件の時の河野さんを巡るマスコミと警察の動き(薄弱な根拠に基づく強力な思い込みによる違法な捜査(「被疑者不明の家宅捜索」というわけのわからないものでしかもその令状が「何の根拠もなく『殺人罪』と決めつけている」というとんでもないもの)と、その情報のマスコミへのリーク)の、ほぼ相似形です。そして、そのマスコミ報道を信じた人々が、冤罪被害者に対して社会的制裁(無言電話、脅迫電話、脅迫状など)を熱心にするところもそっくり。
アメリカは「推定無罪」の原則が強く機能し、弁護士は取り調べ段階から同席・アドバイスができます。そのアメリカでさえ冤罪が起きました。だったら、人権感覚や公正な裁判や取り調べに関する意識がアメリカよりはるかに希薄な日本では? まあ、こういった疑問は書くだけ無駄ですね。冤罪の山や報道被害の大海がその回答となっています。
「取り調べの可視化」に対して日本では反対論が強いのですが、実はアメリカでもそれを始めるときに反対論が強力に唱えられたそうです。ところが実際に始めてみたら、反対論者の主張はほとんどが杞憂だったことがわかったそうです。むしろ取り調べの技術が向上し(ことばできちんと真犯人を追い込む必要があるし、黙秘をする容疑者に対してはきちんとした証拠を示す必要がありますから)「可視化」はアメリカに定着しました。
しかし、アトランタ・ジャーナルの主張はすごい。「自分たちは事実を報道しただけで、何も悪くない」なのですから。で、何が「事実」かと言えば「FBIがジュエルさんを犯人だと疑った」ということ。ところが、FBIの誰がそんな情報をリークしたのか、といえば「それは秘密」。情報の裏をきちんと取ったかどうか、も「それは秘密」。自分の行動が、無実の人間だけではなくて社会にも害をなしているという「事実」から目を背けているのは誰なんだ?と私は感じます。間違ったことをしたらごめんなさい、は子供の躾の基本なんですけどねえ。
ダイアナ妃に対するパパラッチについても興味深い指摘が行われています。たとえばあの事故後、非倫理的な行動から得られた写真をイギリスの大メディアは買わないように自主規制を始めた、とか。また、メディアの仕事は、弱者に対して強者が何をしているか、国民に対して政府が何をしているか、を明らかにすることだ、という主張もあります。きょとんとするマスコミ人が日本には多いかもしれませんが。だって「メディアは娯楽だ」という意識が強そうですから。でも、それで良いのかなあ?