「新国立」に関して、最初のザハ・ハディド案があまりにコストがかかりすぎる、と「ゼロベースで見直し」になって(ところでなんで「ゼロベース」? 単に「最初から見直す」で私には通じますけど)、ところが新しい案にやっと決まったと思ったら「聖火台がない」。「オリンピックを開きたいのではなくて、単に千億円単位の金を動かしたいだけか?」と毒づきたくなります。ところで、私の記憶では、最初のザハ・ハディド案でも聖火台は屋外に置かれることになっていたはずです。やっぱり最初から「オリンピックを開くための競技場を作りたい」ではなかったようですね。
【ただいま読書中】『「新国立」破綻の構図 ──当事者が語る内幕』日経アーキテクチュア 編、日系BP社、2015年、1700円(税別)
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なんだかケチがついてばかりの「東京五輪」ですが、新国立競技場として最初に選定されたザハ・ハディド案がどうして駄目にされたのか、そもそもそれがどうして選定されたのか、を当時の連載記事とその後の取材を並べることで探った本です。
建設業界に関して、日本は「大工の文化」です。発注者は予算と希望を大工に伝えたら、あとは大工の腕次第。国際標準では、発注者はプロジェクトマネージャーの助けを借りて、施工者側が出したプランを精査し、自分の希望と予算との限界を探りながら具体的にプランを変更・調整していく必要があります。ところが「新国立」ではこの「プロジェクトマネージメント」が欠如していました。
最初に「戦犯」扱いされたのは、国際デザイン競技審査委員長の安藤忠雄さん。しかし安藤さんは「1300億円のデザインを選んだだけで、その後のコストアップは何も聞かされていない」と。「巨大なキールアーチ」も槍玉に挙がりました。しかしそれを設計したザハ・ハディド事務所は「キールアーチそのものは230億円くらいで、あそこまでのコストアップはもたらさない」と。さらにザハ・ハディド事務所は日本の設計チームと最初から基本設計の共同作業をしていましたが、問題はJSC(日本スポーツ振興センター)だと主張します。競技場の最高高さを75m、客席を78000にすれば理想的な競技場ができるのに、JCSは70m、80000席を譲らず、しかも具体的な予算を設計作業の基本設計締め切りの2箇月前まで示さなかった、のだそうです。基本設計を見て施工業者が示したのは「工事費3000億円、工期56箇月」。設計側は驚き、コストカットのためにさまざまな修正案を提示しますが、ことごとくJSCに却下されました(ここに紹介された「技術的な解決策を“文系”の官僚がすべて却下する態度」を見ていて私が思い出すのが、以前読んだ『「安全第一」の社会史』に紹介されていた、戦前の官立工場で「法学部」出身の官僚が工場の管理者となり「工学部」出身者はせいぜい技師としてしか扱われずそのカイゼンの提案はことごとく却下された、という制度です。現場を知らない人間が現場をえらそうに指揮する態度は「日本の伝統」なのでしょう。そういえば原発でもそういう態度が横行していましたね)。なお日経アーキテクチュアは施工業者にもインタビューを申し込んでいますが、断られたそうです。デザイン競技の審査委員だった都築雅人さんは「ザハ・ハディド事務所はコスト高の汚名を着せられたが、それは冤罪だ」と本書のインタビューで述べています。
「新国立」で強く批判されたのは「巨大な規模」と「見積もりの甘い建設コスト」でした。それで苦しんだのは、設計の人たちです。さらに、「神宮外苑にふさわしくない外観」「五輪後の採算性(維持費の巨大さ)」も。それに「議論を尽くさない」「情報公開をしぶる」JSCの態度が拍車をかけます。2013年10月11日シンポジウムで建築家の槇文彦さんは明確に「批判」の声を上げます。そして、それに賛同する声が結集。そういった異論に耳を貸さず、文部科学省とJCSは“粛々と”旧国立競技場の解体を始めます。ところがその入札で明白に不自然な行為が。内閣府は契約破棄と入札やり直しを命じます。結局「官製談合ではない」とはなりましたが、工事は遅れに遅れます。解体が始まる前に早くも新設の施工業者が決定されますが、屋根は竹中工務店、スタンドは大成建設でした。ところが両者の見積もりを合計したら3088億円、工期は66箇月! 文科省はJCSにコスト縮減や工期短縮を指示しますが、その話は非公開とし、旧競技場の解体をニュースとしてマスコミに提供します。これは私の想像ですが、もうどうしようもない時期になるまで待ってから「高いけれど、これで行くしかない。行かないとオリンピックに間に合わないぞ。それでいいのか?」で押し切る気だった人(たち)がいたのでしょう。
ところが500億円の負担を求められた「都」は、押し切られませんでした。この頃から盛んに“犯人捜し”が行われるようになります。槍玉に挙げられたのは「複雑なデザイン」「キールアーチ」「開閉式の屋根」などなど。しかしそういった“目に見える物”ではなくて、本書で“犯人”と名指しされているのは「無責任体制」「多すぎる船頭」「リーダーシップの不在」といった“目に見えないもの”つまり「日本というシステム」です。本書からその問題点をきちんと学ばなければ、また別のプロジェクトでまた似たような問題が発生することになるでしょう。私たちに、学ぶ気が、そしてそれを改善する気がありますか?