【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

ギャンブル

2016-03-16 06:25:51 | Weblog

 「宝くじはギャンブルではない」という説を昭和の頃に聞いた覚えがあります。その根拠は「あれはただの運試し。“本物のギャンブル”は、カードにしても競馬にしても、知恵と運とその両方が必要なものだ」というものでした。それが“ギャンブルの公式の定義”かどうかは知りませんが、宝くじが確率だけに頼る運試しであることは確かです。だけど、だからこそ「民主主義の社会」にはふさわしい“ギャンブル”と言って良いかもしれません。参加することに、「個人であること」以外にどんな資格も資質も問われないのですから。

【ただいま読書中】『宝くじの文化史 ──ギャンブルが変えた世界史』ゲイリー・ヒックス 著、 高橋知子 訳、 原書房、2011年、2400円(税別)

 古代ギリシアのアテナイでは、ほぼすべての政治家や官職のポストがくじ引きで決定されていました。一種の「究極の民主主義」ですが、その由来は宗教にあります。アテナイでは神職を決定するときに「豆によるくじ引き」が行われていたのです。神意がくじで決まるのなら、民意もくじで決める、ということなのでしょう。そう言えば日本の「あみだくじ」も「阿弥陀」による決定で、室町幕府で将軍を決めるのに用いられたことがありましたね。
 古代ローマでは、皇帝がくじを愛好しました。インフラ整備のための資金集めや貴族を支配することが目的ですが、賞品として困るものもありました。たとえば生きたライオン。これを一体どうしろと?
 古代ローマではくじ券の数はせいぜい数百枚でした。ところが「ゼロ」が導入されることによりくじ券発行数は(理論上は)無限大になります。13世紀頃宝くじが大々的に売り出されるようになり、さらに印刷機の普及によってその発行枚数は飛躍的に増えることになります。16世紀はじめのアントワープでは数十万枚のくじが発行されて豪華賞品が配られました。1549年にはアムステルダムで国営宝くじが売り出されます。
 北海沿岸諸国での人気ぶりを見て、イギリスでもエリザベス一世が国営宝くじを売り出そうとします。ところがイギリス国民は、宝くじを信用していなかったのか女王を信じていなかったのか、宝くじは見事な不人気でした。
 1600年頃ロンドンには物乞いや浮浪者や外国人が満ちあふれていました。そういった人々を厄介払いするためにヴァージニア会社が設立されます。甘言でだまして新大陸へ移住させることが目的です。彼らが到着したジェームズタウンは地獄でした。6000人の入植者のうち半数が餓死します。入植地に冷ややかで国庫支出を渋っていたジェームズ一世は、支援のため公営宝くじ開催の勅許を下します。この宝くじは成功し、ヴァージニア会社は倒産の危機から救われました。
 面白いのは、昔の宝くじは「はずれ」も抽選されていた、ということです。まず「番号」を抽選し、次いでそれが「あたりか外れか」を抽選する、という複雑なやり方でした。エリザベス一世の時には抽選会が4箇月続いたわけがわかります。
 「奴隷解放」目的の宝くじもありました。『ローマ亡き後の地中海世界』(塩野七生)に、イスラムの海賊が地中海沿岸を襲ってはヨーロッパ人を奴隷としてアフリカに攫っていったことが書いてありましたが、その中にけっこうな数のイギリス人が混じっていました。地中海だけではなくてイギリス沿岸までイスラム海賊は襲っていたのです。人質解放の身代金のために募金活動がおこなわれましたが、とても足りません。そこで参考にされたのが、フランスで売り出された「奴隷となった自国民解放のための身代金集め宝くじ」でした。
 17世紀末頃イギリスでは宝くじの人気が高まります。システムが近代化され、汚職や抽選の不正が追放され、女性が「投機」に参加するようになったことが大きな要因でしょう。当時の女性は「自分の財産を投資する」ことは許されていませんでしたが、宝くじならOKだったのです。
 フランスではカザノヴァが国営宝くじ創設を支援しました。この宝くじは大成功で、カサノヴァは(一時的にですが)金持ちになりました。カザノヴァは詐欺は働きませんでしたが、成功した宝くじには、ファンだけではなくて詐欺師も群がることになります。
 18世紀末のイギリスで、それまでの「高額賞金は年金払い」を「一括払い」にするという射幸心を高める工夫がされます。宝くじ人気は益々高まりますが、それで身を持ち崩す人も次々と。さらにくじの密売人なんてものも登場し始めます。なんだか現代社会の麻薬と似ていますね。あまりの過熱ぶりに反対論も高まります。19世紀初めの有名な「宝くじ反対論者」はウィルバーフォース(イギリスの奴隷制度反対論でも有名な人です)。ついに1823年に「宝くじ法(国内外のすべての宝くじを禁止する法)」が可決され、26年に「イギリス最後の宝くじ」が発売されます。世間は大騒ぎとなりますが、くじ券は半分が売れ残り、くじ自体としてはそれほどの盛り上がりを見せずにイギリスの宝くじは終了しました。
 アメリカでも宝くじは人気がありました。ジョージ・ワシントンも熱心なファンで開催の支援もしていましたが、「疑惑の当選」なんてものもあるそうです。イギリスとは違って19世紀にもアメリカでは宝くじが盛んで、この収益が西部開拓の原動力になりました。道路・街灯・学校などや、200以上の教会も宝くじの売り上げで建築されました。アメリカ人は(今も昔も)税金が嫌いで、公債制度が整備されておらず銀行もまだ貧弱だった時代、宝くじが新しい国家建設に必須だったのです。
 サッチャリズムのイギリスでは宝くじ復活運動がありましたが、サッチャーは反対論者でした。しかし後任のメージャーは「健康保険制度の原資」にすることを目的として宝くじを復活させます。この時点で、ヨーロッパで宝くじがないのはアルバニアだけになったそうです。
 刑務所に服役中に高額賞金のくじに当選した人もいます。「囚人に受け取り資格があるのか」とか大騒ぎになったそうですが、えっと……賞金を受け取りにいけたんでしょうか? 1970年頃には、国連が主催者となって全世界規模での宝くじ、というアイデアがあったそうです。これが実現していたら、どんなことになっていたんだろう、なんてことも夢想します。
 そうそう、「議員をくじで選ぶ」は私には「民主主義的な手続き」に思えます。「議員の子が議員になりやすい」よりもね。「能力のない人間が選ばれてしまう」という反論もあるでしょうが、それに対して私は二つの意見を持っています。
1)現在の議員たちは皆「能力のある人間」ばかりなの?
2)くじで選ばれても議員ができる程度の義務教育を全国民にしたら良いのでは?