「説明責任」とか「任命責任」とかの言葉だけは簡単に飛び交いますが、その責任が実際に果たされたことって、今までにどのくらいありましたっけ? 単に口を動かして言えば良い、というものではないでしょう?
【ただいま読書中】『紙幣の日本史』加来耕三 著、 KADOKAWA、2019年、1400円(税別)
日本の紙幣に印刷された「顔」が、どんな人かについてまとめて述べた本です。
明治政府は近代化を急いでいました。明治五年に国立銀行に銀行券の発行を認めましたが、金兌換を求めたため銀行は4つしか設立されませんでした。そこで伊藤博文はアメリカに「紙幣」を発注しました。その一円札の肖像が、「田道(たじ)将軍(「日本書紀」で、新羅と蝦夷両征伐に活躍した将軍)と「源為朝」と2つの説があります。アメリカに発注するときの書類が残っていないのかな。二円札は、裏面は宮城(皇居)、表面の右側が新田義貞、左側が児島高徳。後醍醐天皇の忠臣です。児島高徳はその実在さえ疑われているし、新田義貞はその評価が上がったり下がったりしていますが、ともかく「天皇の忠臣」であることに価値が認められたのでしょう。二十円券の裏は大国主命。表は素戔嗚尊(スサノオノミコト)。
明治政府は、アメリカに紙幣を発注すると同時に、ドイツ・フランクフルトのドンドルフ・ナウマン印刷会社にも製造を依頼していました。しかし海外発注は高くつきます。そこで会社の機械器具類一式を買い取り、そこで働いていた紙幣原板彫刻技師のエドアルド・キヨッソーネを雇い入れることにしました。そうしてできた「日本初の国産紙幣」が神功皇后の一円券(原板完成は明治十一年)でした。実際の顔を知る人はいませんから(というか、実在の人物でしたっけ?)キヨッソーネは大蔵省の女性職員複数をモデルとして原板を彫っています。神功皇后は「新羅出兵」で知られているので、征韓論の下地作りの役割もあったのかもしれません。
菅原道真は、明治二十一年の五円券でデビューしました。これまでに6種類の紙幣に登場している“人気者"です。和気清麻呂、藤原鎌足など、日本史の授業で習った有名人が次々登場します。ただ、明治二十年に「紙幣の肖像とする」と閣議決定された人々の中で、聖徳太子と坂上田村麻呂はなぜか大正になっても紙幣に登場しませんでした。その理由について著者は興味深い仮説を述べています。
関東大震災、昭和の金融恐慌で、日本銀行は大量に紙幣を発行しましたが、緊急処置として裏が真っ白の「裏白券」も大量に製造しました。そのとき百円券に初登場したのが聖徳太子です。肖像のデザインから彫刻まで、すべて日本人がおこなった「純国産のお札」でした。そういえば私の子供時代には、1万円も五千円も聖徳太子の肖像で、「聖徳太子」と言えば「お札(それも一万円札)」のことでしたっけ。
楠正成は悲しい運命です。昭和十九年、金属節約のため発行された「五銭紙幣」の肖像として登場しましたが、敗戦後はすぐに使われなくなってしまいました。
本書で面白いのは、紙幣に登場した人々の人生と、その紙幣が発行されたときの日本の運命とが、重ね合わされて描写されるところです。発行する側は何らかのイメージを紙幣に投影しています。だから「運命の二重写し」となるわけ。
さて、2024年には新紙幣が発行されるそうです。政府はいったいどんな「国の運命」を紙幣に投影するつもりなのでしょう?