小学生の時「南無妙法蓮華経」という言葉を初めて聞いたとき、私は「南無妙・法蓮・華経」と耳で分解して脳に取り込んでしまいました。これが「南無・妙法・蓮華・経」であることを理解したのはそれから20年以上経ってからのことです。でも今でも私の耳は「なむみょー・ほーれん・げきょう」だと主張し続けています。刷り込みは偉大です。
【ただいま読書中】『まんがで読破 立正安国論』日蓮 原作、Teamバンミカス 企画・漫画、イースト・プレス、2013年、552円(税別)
天台宗の総本山比叡山からは、鎌倉新仏教の開祖が次々誕生しました。天台宗の基本的な考え方は、仏陀の教えは人に合わせて融通無碍だが、その行き着く先はただひとつ「完全なる仏陀の悟り」である、という「法華一乗思想」で、だからこそ比叡山は「単一の経典」「単一の修業」に拘泥することなく様々な教えを学ぶことができる「仏教総合大学」のようなものとなっていました。よほど自分に自信が無いと、こういった懐の広さと深さを示すことはできないでしょう。他者を理解するよりも攻撃する方が楽ですもの。
少年時代の日蓮は安房国の清澄寺(天台宗)で学んで出家、次は鎌倉に遊学して念仏を学びます。日蓮は「念仏専修」を「正法(法華経)を無視する悪法(末法の態度)」と否定しますが、しかし庶民は念仏で救われているように見えます。日蓮は比叡山で10年間過ごします。そこで、様々な学問(仏教以外も含む)を学ぶことができましたが、同時に、仏教界の堕落についても詳しく知ってしまいました。
安房に戻った日蓮は説きます。様々な経典のエッセンスはすべて法華経に含まれている、つまり法華経こそが至高の経典である。また、念仏を否定します。ただ、念仏を唱える人々には、そのかわりとして「南無妙法蓮華経」という“題目"を唱えることを進めます。
地震や飢饉に襲われ、人々はただ念仏を唱えて極楽浄土に行くことだけを望みます。その姿を見て日蓮は天変地異についての考察を重ねますが、その結実が『立正安国論』です。日蓮は「天変地異の原因」を、「邪法の横行」「仏教界の堕落」「腐敗した政治」などによって「善神」が日本を去って行ったこと、と断言します。さらに、今の状態を放置したら、外国からの侵略が起きるだろう、と予言します(これが、後世「日蓮は元寇を予言した(そして当てた)」と言われる所以です)。
これは当時の鎌倉幕府と仏教界の大御所たち、つまり日本の二大権力両方に対して喧嘩を売ったことになります。しかし権力がまともに相手をするわけもなく、日蓮は地道に布教活動をすることになります。そこでも次々「法難」にあい、主張は先鋭化。法然が念仏を広めるときに他宗を激しく攻撃していたことを日蓮は批判していたはずなのに、いつの間にか法然と同じく他宗を激しく攻撃し続けるようになります。本当に優れているものだったら、他者を貶めなくても、自分の優越性を主張するだけで十分、と最初は思っていたはずなのに。
多くの場合、弟子は師匠の“劣化コピー"です。当然、師匠の没後はその主張はどんどん劣化し続けることになります。すると必要なのは、師匠が思わず怒り出すほど、正しく師匠を批判できる弟子が育つこと。そうしたら、師匠の思想は正しく継承される、あるいは、発展することが望めます。さて、日蓮にそういった弟子はいたのでしょうか?