日本から犯罪を減らすのに、すごく簡単な方法があります。たとえば刑法から殺人罪と傷害罪の条文を削除しちゃう。こうしたら、来年から日本の統計では「殺人と傷害」の事件数はゼロになります。
【ただいま読書中】『火付盗賊改 ──鬼と呼ばれた江戸の「特別捜査官」』高橋義夫 著、 中央公論新社(中公新書2531)、2019年、860円(税別)
『鬼平犯科帳』で「火付け盗賊改め」という言葉を知った人は多いでしょう。少なくとも私はそうです。
初期の江戸幕府は人手不足の中、少しずつ組織を固めていきました。「火付盗賊改」は最初は大火の時の治安維持や盗賊団の討伐などのために活動していましたが、天和(てんな)のときの中山勘解由直守(「鬼勘解由」)でイメージが固まります。大岡越前は「名奉行」という明るいイメージですが、鬼勘解由は明らかに悪いイメージです。なにせばりばりの戦闘部隊がそのまま活動をするのですから、手加減なんかありません。しかも幕府からの役料がなかったため町人から強請ったりする。これでは良いイメージができるわけはないのです。
人手も少なく、江戸町奉行所のせいぜい1/3くらい。これで「江戸の悪」と闘うわけです。役宅には詰所があり、日当制でお役を務めていました。また鈴ヶ森刑場などの雑事もが行っていました。江戸中に乞食などで頭の手下が最初から配置されているので、火付盗賊改としても犯人捜査がやりやすかったようです。ただ、幕府は“暴走"を恐れたのか、火付盗賊改の活動には一々老中の裁可が必要なように縛りをかけていました。しかし事件は会議室ではなくて現場で進行します。捜査はとても困難になってしまいます。しかし江戸幕府は法治国家を目指していたようで、公事方御定書などを整備することで、きちんとした組織のあり方を模索していました。
しかし、前近代的だと感じるのは、拷問が公認されていたことです。もちろん「濫用するな」と口では言われていましたが、実際には濫用というか愛用されていました。白状してくれたら話は早いですからね。それは現代日本でも同じことで、「証拠に基づく立証」よりは「自白」が重用されているのを見ると、「日本」はあまり変わっていないのかも、とも思えます。