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瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

慈悲の瞑想による出会い

2006年06月28日 | 瞑想日記
輪廻転生があるのかどうか、断定的なことは何も言えない。確実に言えることは、限りある肉体、いのちとして、この時間的な世界に投げされているという事実。そして誰もが、その限りあるいのちのうちに魂の成長と覚醒の可能性を秘めているということ。

特定の誰かに集中的に慈悲の瞑想をすることは、その人のいのちに与えられた成長と覚醒の可能性に働きかけるということなのだ。自分の中にある成長と覚醒への可能性が、他者の成長と覚醒の可能性に出会い、自分と他者のその可能性に働きかけるということなのだ。

慈悲の瞑想をすることで私は、その人の限りあるいのちの場、成長に向かう可能性の場に出会っているような気がする。
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