瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

お願い

2006年06月26日 | サイト更新管理
先日、メールをいただいた千葉県の方へ。
かってながらお願いです。
毎日200を超えるジャンクメールを整理しているときに、間違って削除してしまったようです。申し訳ありません。
かってながら、もう一度、メールをいただけないでしょうか。
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何が大切なのか

2006年06月26日 | 瞑想日記
限りあるいのちを生きていることの「意味」が、さらにずしりと胸に落ちるようになった。生きることにおいて何が大切なのかが、得心できるようになった。この1・2週間、そんな思いを強くしている。端的に言えばそれは「自我」において死ぬこと。そのように行為し、そのように生きることだ。他者との関係を、そのように生きることだ。

先週、「慈悲の瞑想」への意欲が衰えていたが、今日はまた行き帰りにずっと行った。その人を思い、その人をイメージしながら「慈悲の瞑想」を続ける。続けていると、その人の「限りあるいのち」が意識される。その人を、「限りあるいのち」という視点から見ている。

私と言う「限りあるいのち」が、たとえば家族の誰か、たとえば子どもという、もうひとつの「限りあるいのち」の生き方、その開花に、「慈悲の瞑想」を通じて、あるいは他の言動によって、どれほどにかかわっていくことができるのか。そこでもまた、私自身の「自我」の死が問われている。そのかかわりにおいて、どれだけ無私になれるか。

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