ここ数日ずっと、朝の職場までの歩きは「慈悲の瞑想」である。自分の2人の息子と、娘への瞑想が中心だ。「慈悲の瞑想」が素晴らしいのは、親のエゴを超えた視点から、息子・娘たちを数十分の間、思い続けることができるということだ。俗世間でいう幸福という視点からではなく、この世に投げ出されたすべての「いのち」に共通する「いのちの開花」という視点から、子供たちを思い続けることができるということだ。
そのような視点から子供たちを思うということが、自分自身の生を同じ視点から確認することにつながる。この世にのみ限定された世間的な幸せという視点からではなく、生きていることの根源にかかわる課題という視点から、息子・娘・そして自分の「いのち」を確認するという作業。
そのような視点から子供たちを思うということが、自分自身の生を同じ視点から確認することにつながる。この世にのみ限定された世間的な幸せという視点からではなく、生きていることの根源にかかわる課題という視点から、息子・娘・そして自分の「いのち」を確認するという作業。