瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

努力はかえって邪魔

2006年06月14日 | 瞑想日記
◆なくす努力をせずに見つめる
現在、自分の中にきわめて問題だと思われる反応パターンがひとつある。特定の人物の一連の行動パターンに対する怒りの感情だ。こういう特定の感情をどうにかしたい、なくしたいと思う自分がいる。ついつい、何とかなくしたいと思ってしまう。

しかし、嫌いな反応をなくしたり止めたりする努力はかえって邪魔にになる。大切なことは、その感情をしっかりと見つめることだ。ただ見つめるものになりきることだ。そうした感情や反応が生じるたびにしっかりと眺め、見つめ続ければ、それは自然に落ちていくだろう。

◆『ブッダの瞑想法』地橋秀雄(春秋社、2006年)
この本の中に次のような例が出てくる。夏の砂浜で、自分の素足に誰かが中身の詰まった缶ジュースを落とした。

「液体の入った缶が体表面に接触した瞬間に、電光石火の速さで「痛み」とサティが入れば、純粋な知覚だけで終わりになります。これは、痛みという事実が『ありのままに観られた』状態で、次に起るはずの反応が止められているのです。怒りは出ません。‥‥見られたものが見られたままに止まり、聞かれたものが聞かれたまかに止まり、感じられたものが感じられたままに止まるならば、苦しみが終滅する、というダンマの世界です。」(p74)

一瞬一瞬のサティというものは、努力して欠点を変えようとする世界ではなく、ただ気づき、見るめる世界なのである。それを、感情が引き起こされる一瞬前、二瞬前の知覚現象のレベルで気づいくもの、ということだ。

怒りをなんとかしようとする自分に気づいたら、そういう自分にもサティを入れる。
コメント (1)
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