瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

気分へのサティ

2007年04月10日 | 瞑想日記
◆「早読み」
相変わらず、いわゆる「早読み」を続けている。一日一冊のペースである。楽に読める啓発書が多いが。不思議なもので気になるところだけを3回・4回と読んでいると、もう充分だ、だいたい必要なところは全部読んだという感じになる。この本は読了したという感じが来る。そうすると、本の後に何年何月何日読了と記入する。

何回も繰り返してページをめくっていると、読むべきところと必要のないこところがかなりはっきり分かる感じがする。もちろん本の種類にもよるが。

◆気分へのサティ
最近、慈悲の瞑想は以前ほど熱心にやっていない。その分、サティが少し多くなっている。ただひと頃ほどには続かない。夕方、駅へ向かう歩行時も、あまりサティへの気分が乗らない。

最近、あまり気分が乗らないことは無理してやらないようにしている。これは「早読み」からの影響が多分にある。ページをめくっていて、興味が湧かないところは読まない。ただし、何回が繰り返しているうちに、興味を引かれる部分が増えていくのは確かだが。

ともあれ、サティに気が乗らなければサティしない。その変わり、今の気分にサティする。これはたいてい気分が乗る。「気分が乗らない」とサティすることには気持ちが乗るわけだ。そうすると、他の気分が出てくる、それにもサティする。そんな感じで気まぐれなサティが続く。

一般的に、その時の気分にサティすることは、ほとんど常に抵抗なくできる。そこからより深い感情へのサティが続くことも多い。しばしば「悲しみ」や「不安」などにサティが入る。こんな感じで、日常生活の中でのサティが復活していけばと思う。
コメント
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