今までは、本を最初から最後まで読んでいたので、次にどの本を読むかは毎回迷った。数日から一週間をその本のために時間を割くのだから、かなり影響が出る。
しかし、本の読み方を変えた今は、もう迷わずにすむと思う。ともあれ目次に目を通し、ぺらぺらとページをめくればいいのだ。わずかな時間だ。それで興味が持てたら読めばいいし、持てなければ後まわし。
昨日家に帰ってからまた一冊読んだ。その間に映画も一本見ている。その本は3回目を通したが、従来の通読よりもかなり得るところが多かった感じだ。
もう少し具体的に書いて見よう。
先ず目次を読む。それも節まで読むのは面倒くさいから章の部分だけ読む。それでも節の部分も目に入り、気になる語句が飛び込んでくる。そういう語句は必ずマークする。
再度、目次の章だけ読み返す。いくつかの節の部分に興味が引かれ、その章の節の部分は全部読んだりする。さらにマークが増える。
1回目。
目次のマークを付けた部分(関心のある部分)を気に留めながら、今度はページをどんどんめくっていく。章や節の語句だけ読みながら。そうしていると何となく、興味が持てそうな語句や文が目にはいる。(目次でマークした場所と同じとは限らない。) そんなところはマークしたり○をしたりしながら、ざっと読む。たぶん20~30分で目を通し終わる。少しその本がどんな本なのか分かってくる。
2回目
しばらく時間を置いて、また目次を見る。前とは違ったところに関心がいく。そこにもマークする。そしてまたページをめくる。前よりも興味を引かれるところが増えている。ある箇所を読み、その前後も読みたくなって読む。重要語句にマークする。さらに本の内容がつかめる。
3回目。
前と同じように目次を見る。節もかなり興味をもって読める。その内容を思い出すところもある。本文に入る。見出しや小見出し、マークをしたところなどを目で追っていく。途中、読みたいところがまた増えている。
こんな感じで繰り返すのだが、軽いハウツーものだと、4回目読むころには、その本の主張の必要なところは、ほぼ吸収した感じになっている。昨日から今日にかけて読んだ本も、もう充分という感じ。一回隅々まできっちり読むより時間ははるかに短く、しかも得たものも多い感じだ。興味のあるところにしぼって読むのだが、回を追う毎にそういう部分が増えていく。
しかし、本の読み方を変えた今は、もう迷わずにすむと思う。ともあれ目次に目を通し、ぺらぺらとページをめくればいいのだ。わずかな時間だ。それで興味が持てたら読めばいいし、持てなければ後まわし。
昨日家に帰ってからまた一冊読んだ。その間に映画も一本見ている。その本は3回目を通したが、従来の通読よりもかなり得るところが多かった感じだ。
もう少し具体的に書いて見よう。
先ず目次を読む。それも節まで読むのは面倒くさいから章の部分だけ読む。それでも節の部分も目に入り、気になる語句が飛び込んでくる。そういう語句は必ずマークする。
再度、目次の章だけ読み返す。いくつかの節の部分に興味が引かれ、その章の節の部分は全部読んだりする。さらにマークが増える。
1回目。
目次のマークを付けた部分(関心のある部分)を気に留めながら、今度はページをどんどんめくっていく。章や節の語句だけ読みながら。そうしていると何となく、興味が持てそうな語句や文が目にはいる。(目次でマークした場所と同じとは限らない。) そんなところはマークしたり○をしたりしながら、ざっと読む。たぶん20~30分で目を通し終わる。少しその本がどんな本なのか分かってくる。
2回目
しばらく時間を置いて、また目次を見る。前とは違ったところに関心がいく。そこにもマークする。そしてまたページをめくる。前よりも興味を引かれるところが増えている。ある箇所を読み、その前後も読みたくなって読む。重要語句にマークする。さらに本の内容がつかめる。
3回目。
前と同じように目次を見る。節もかなり興味をもって読める。その内容を思い出すところもある。本文に入る。見出しや小見出し、マークをしたところなどを目で追っていく。途中、読みたいところがまた増えている。
こんな感じで繰り返すのだが、軽いハウツーものだと、4回目読むころには、その本の主張の必要なところは、ほぼ吸収した感じになっている。昨日から今日にかけて読んだ本も、もう充分という感じ。一回隅々まできっちり読むより時間ははるかに短く、しかも得たものも多い感じだ。興味のあるところにしぼって読むのだが、回を追う毎にそういう部分が増えていく。